02

どんぐりがネコ

「こ、わい。落っこちそ……」

「大丈夫、つかまえてるから」

「でも」大丈夫だって。べったりと肌に貼りついていたスリップが、背中のあたりまで剥かれる。脚の付け根から、胴震いが駆けのぼる。小さな笑いが背後からこぼされる。腰骨の上に、指先が食い込んだ。

「……っ、……べに……」

「ああ、……ア、ア、……アァ……、」

 ボスに押し込められる、瞬間が、生肉を食い散らしたくなるほど好きだ。俺の内も外も、あらゆるものが、揺り起こされそうになる。やり尽くすくらい、死ぬほどたくさんのセックスを売りまくってきた俺が、ボスに抱かれて、初めて知った。与えるだけじゃない、優しいだけでも、痛めつけるでもない。それぞれが自分の奥深くに潜って、底の底まで自力で泳いで、そこでまた出会って抱き合うみたいな、繋がり方。

「……ッ、……ふっ、う……」

「や、……っボス、や、落ち、あッ、ぁう!」肘が震えて、落ちそうになった、その瞬間に、後ろに強く引っぱり上げられた。仰け反った上体に、ボスが後ろからしがみついてくる。慣れない位置が、苛烈な突き上げにあって、悲鳴をあげた。

「っんぁ、ア、いく、いく、ボス、ぅう……ッ……!」

「べに、……っ、く……ッ、……」

「………………あぁ……は……、」

 薄く開けた目に、タイルを伝う白い流れが映った。広い湯船の、向こうの壁にまで、飛ばしてしまっている。大きく息をついた俺の腹の中に、まだ、大きいままのボスがいる。このまま、四つん這い、なれるか? 耳の奥までかかるボスの息が熱い。すぐに俺のもまたたちあがりはじめる。

「うん……」繋がったまま、ゆっくり膝を折って、床に両手をつく。気持ちいい分だけのボスの体重が、背中に被さった。

「もう、猫やんねぇの?」

「……だって、恥ずかし、……」

「おまえが始めたことだろ。ほら、」肌と肌がぶつかる、野鄙な音が耳立つ。

「……に、」びしゃん。またきつく突き上げられて、突っ張った腕が横に滑った。腰を動かしながら、立たない爪をタイルの床に立てて、なんとか体勢を立て直す。「にゃ、にゃあ、」

 満ちるときの充足も、引くときの粘っこさも、もっと、それこそ腹いっぱいまで、感じたくて、俺は腰を突き出す。振る。うれしい。ボスが、俺の中を触ってくれていることがうれしくて、だからきもちよくて、そのことがまたうれしくて、もう際限がない。

「……ぁア! にぁ、ああ、にゃあぁ、」

「アー……、かわいい……」

「に……、にぁ、だ……、ボス、ぁ、ひっ、あぁああっ……!」深く突き入れられたかと思うと、それを軸にして、仰向けにひっくり返された。

「…………ぁあ、ボ、ス……」

 理性の薄れた、男の目が、俺を見下ろしている。ボスは、俺の胸にまとわりついたスリップを、ほとんどむしるようにして鎖骨のところまで押し上げた。ふくらんだ乳首が擦れて引っかかる。ボスの指が、それを押し潰し、挟んで、捻る。弱点と知っていて、責める、けものの動きだった。

「……ッ、やっ、あぁあ……」

「猫」やって。短い命令。

「にゃぁ……、にゃ、ぅん、にゃぁん!」

「っく、……ふ、……ッぅあ、」

 動き方が、呼吸が、伝えてくる。いきそうになってるボスを、邪魔しないように、タイミングを合わせて、読み取る。添うように追い詰めて、追い詰められる。

「紅、……っ、……あぁ、ッ、……ウ…………ッ!」

「あぁ……ッ、にゃ、ぃあ、ああァ……!」

 俺の奥ではぜたボスの後を追って、二度目の射精を迎えながら、俺は中に注がれたものを閉じ込めるみたいに、ボスの腰に強く脚を絡ませた。



 同じ湯船の中に二人、少し距離を置いて、無言で浸かっている。俺は見るともなく、シャワーチェアのあたりを眺めていた。脱ぎ捨てたスリップと、濡れてしおれた猫耳のカチューシャが、端の方に今にもずり落ちそうになって引っかかっている。

 こんなとき、俺は何も考えていない。考えたとしても、とりとめのないことが頭に次々浮かぶくらいだ。ボスに長生きしてほしいとか、しあわせだなぁとか、俺が女だったらお湯に胸がぷかぷか浮いたりするんだろうか、とか。女の人の胸をちゃんと見た事がないから、実際にどんな風になるのか、想像もつかない。ぼんやりと自分の、薄赤い痕のたくさんついた平坦な胸を見下ろしていたら、横っ面にお湯のかたまりが飛んできた。

「ちょ……、ぉわっ、」抗議の途中で、今度は眉間に、細く勢いのある水鉄砲の一発が命中する。

「そこ、なんか、皺寄ってるからさ」ボスはこの、手でやる水鉄砲が得意だ。無駄に手先が器用なのだ。

「や、ただ……胸……、が、ないな、って……」思ってただけ。ボスは、片側の眉を怪訝そうに跳ね上げた。

「胸があったことなんかあんのか、おまえ」

「でもボスは好きでしょ、女の人の胸」

「尻の方が好きだけどな」

「胸とかお尻とかおっきいの、気持ちいい?」

「いいぜ、そりゃあ」気兼ねも何もない、すました顔。そうだった。俺に想いを寄せられていると知っていて、平気で吸いさしの煙草を渡してくるような無神経なのだ、この男は。

 薄い胸がなんだかいたたまれなくなって、俺は顎まで湯に浸かった。するとボスの手が、沈んだ俺の肩を掴む。体の向きを変えられ、後ろからボスに抱っこされる格好になった。

「……ボス……?」

「んー……」

 ボスの指が、俺の短い髪を梳きはじめた。後頭部から、うなじをなぞって、またてっぺんまで戻る。

 ごきゅ。緊張した俺の喉が、変な鳴り方をした。俺は顎で水面を叩いてごまかす。ボスの耳には届かなかったのか、背後から笑われる気配はなかった。頭を撫でる手の動きが、ふと止まる。

「紅、おまえさ。長生きしろよ」

「……な、なに、急に」

「なんとなく」

 俺は身を捩って、ボスの方に向き直った。

 俺をみつめるボスは、今にも笑い出しそうな、でも、泣いてる誰かがいたら一緒に静かに泣いてくれそうな、そんな、剥きだしの顔をしていた。俺はボスの首のところにきつく抱きついて、顔を埋めた。ボスの力強いてのひらが、俺の後首に当てられる。

「ボスに長生きしてほしいって、さっき、俺も思ってたよ」

「ほんと?」ほんと。

「ボス、死なないでね」

「そりゃあ、ちっと無理だなぁ」

「じゃあ、ちょっとでも長く生きてて。ハゲでもカツラでもなんでもいいから」

「俺が禿げんの、一番の恐怖だっておまえ今朝言ってたじゃねぇか」

「だから、そのときのためのカツラだよ」

「結局ハゲは嫌なんじゃねぇか」ボスの両手が、首から、えらのところまで上がってきて、やわく頬を挟む。「おまえも、太っても三段腹でもいいから、長生きして人生楽しんでくれ」

「それ、太って胸と尻おっきくしろってこと?」

「まぁ、それはそれでありかもな」額と、瞼にそれぞれ、笑った形のボスの唇が押し当てられる。

「ありなんだ」俺の口角の上がった脣を、ボスのそれにくっつける。くっつけるだけじゃ足りなくて、吸う。舐める。脣を開く。入ってくる舌からはもう、煙草の味は消えている。でもどうせ、お休みのキスの頃にはまた、煙草くさくなっているだろう。

「なんかもう、俺、死んでもいいかも……」

「おい紅、おまえ、いま俺たちが何話してたか覚えてる?」


(了 2009/03/07)

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