01

雷神と銀と兄弟

 15歳成人、といっても、それを額面通りに受け取っているのは、刑法と風俗業界くらいのものだ。この国の大方の15歳は、義務教育を受けているのだから、成人したからといって大人の仲間入り、ということにはならない。現に、15歳では、飲酒もできなければ、結婚も、車の免許だって取れない地域の方が多い。

 それでも、一応は成人の年、ということで、友達同士で初めての旅行をするだとか、学校によっては生徒主催の成人パーティが行われたりするところも最近では増えているという。学校が長期休暇に入るこの時期は、そういった、地方の新成人グループで、首都の観光地はどこも賑やかになる。

 お化け屋敷ハチクも、成人旅行の若い客のおかげで、この季節はちょっとした書き入れ時だ。

 だからその、少年2人連れが入ってきたときも、紅は、成人旅行のお客さんかな、と考えるともなしに思っていた。

 2人は、物珍しそうにロビーのカフェや、吹き抜けになった頭上に目を遣りながらも、歩みは真直ぐに、紅のいる総合受付にやって来た。

「いらっしゃいませ」紅は笑顔で彼らを迎える。少し前を歩いていた金髪の少年を押し退けるようにして、背の高い方の少年が、カウンターに身を乗り出してきた。

「ねー、弓助さんいる? 今日来るって言っといたんだけ、」

「申し訳ありません!」今度は金髪の方が慌てて前に出てきて、背の高い方を後ろに押し返した。「こいつ、言葉遣いがなってなくて。僕たち、オーナーの菊竹さんにアポイントを取っている、立野(たての)ヒノキと、マキと申します。済みませんが、取り次いで頂けませんでしょうか」

 少年は、マキ、と言ったときに、自分の胸に手を当てた。

 同じ名字。

 顔は全然似ていないが、兄弟であるようだ。

 3階直通のエスカレーターを見上げて、すぐにでも乗りたそうにしている立野ヒノキは、赤みの強いクセっ毛に、日に灼けた肌、緑がかった灰色の目を持っている。

 一方の、立野マキの方はというと、つるつるした金髪に、クリーム色の肌、目の色は薄茶色だった。体格も、何か肩を使う運動をしていそうなヒノキに比べると、マキは、華奢と言っていい細身の体型だった。

 いったい、ボスとはどういう知り合いなんだろう。紅は、社長室という名の弓助の書斎に内線をかけながら、さらにこの若い客人たちを観察した。

 2人とも、タイプは違うが、それぞれに良い顔立ちをしている。紅は特に、マキの容貌の方が気になった。

 少し幼いバランスで配置された目鼻口。特に上脣のかたちは、小鳥の嘴か、赤ん坊のそれを思わせる。濃くはないが長くて、自然にカールしている睫毛。その下の、賢そうに光る大きな目。それらが、彼にどこか危うげな色気を与えている。

 ちょっと、ボスが好きそうな……、

 そう、思いかけて、紅は耳を赤くした。

 違う。

 自分と、顔の系統がちょっとだけ似ているのだ。


     ◆


「おまえら、銀は昼過ぎにしか来ねぇつったろ」

 裏からロビーに降りてきた弓助は、開口一番、若い兄弟に向かってそう言った。

「だーからー、お化け屋敷しに来たんだって!」ヒノキが不服そうに口をひん曲げて言う。

「入りにきた、だろ」マキは兄弟の言葉に訂正を入れてから、「予約取っといてくれるって、この前電話で弓助さんが仰ったんですよ」と弓助を見上げた。

「そうだったか? 悪ィ、完全に忘れてた」悪いと言いつつ少しも悪びれないのが、弓助のいつもの態度である。

「えー! 俺楽しみにしてきたのにー!」ヒノキは派手に項垂れた。

「大丈夫。今ちょうどお客さん途切れてるところだから、すぐにご案内できますよ。いらっしゃるの、初めてですよね?」紅はスケジュールを素早く確認して、笑顔で言った。

「うん! やったー!」目をわくわくさせて、ヒノキは拳を握った両手を高く突き上げる。

「すみません。ご迷惑ではないですか?」礼儀正しくそう訊いてきたのは無論、マキだ。

「とんでもありません。ボス、ご案内頼める?」指示を出しつつ、紅はもう、内線の受話器を上げていた。お化け屋敷のスタッフに、初めての客が来るという連絡を入れなければならない。

 自分のミスのくせに「しゃーねーなァ」などと零しながら、弓助は2人を先導して、お化け屋敷の入り口の方へと歩き出す。

 あの2人は、銀の客だったのか。紅は、弓助の後をついて何か喋りながら歩く少年たちの背中を見送りながら、考えた。

 銀の知り合いで、ボスとも親しそうだということは……、おそらく彼らが、銀の、命の恩人。ボスが、銀を淡竹屋に連れてくるきっかけを作った、男娼窟での仲間、なのだろう。その話は、銀から昔聞いた覚えがあった。何となく、自分たちと同年代の少年だろうと思い込んでいたのだが、特にヒノキの方は、図体の割にまだ若そうだった。

 新しい生活の中で、もはや忘れそうになっているが、つい最近まで、中東部の裏路地にも、そういった年若い街娼がゴロゴロしていたのだ。

 自分だってその中の1人だったというのに、幸せな毎日が続くと、あっという間に忘れてしまう。本当に、一瞬だ。つらかったことも、空腹も、感じていた痛みも。そして、現在の自分がどれだけ恵まれた生活をしているかということも。

「いや、空いてて助かったぜ。セーフセーフ」のんきなことを言いながら、2人の案内を終えた弓助が受付に戻ってきた。

「空いててよかった、って、オーナーの発言とは思えないけど」紅は目を薄くする。「っていうか、空いてたわけじゃなくて、スタッフに休憩時間返上してもらっただけだから。この時期に空いてるわけないだろ」

「だから悪かったって」へらへらして弓助は言った。どうせ口先だけだ。「つーか、今日、銀来るよな?」

「知らないよ。それも確認せずに返事したの? もう、」

「いや、最近ほら、午後はほぼ毎日顔見てっから、今日もそんな感じだろうと思ってさ」言いながら、弓助は携帯電話を操作しはじめた。銀に連絡を取るつもりだろう。


     ◆


 数十分後、件の少年2人は、半ばのっぺらぼうのように凍り付いた顔に、遠い目を泳がせて、中央エスカレーターを降りてきた。威勢のよかったヒノキの方も、顔面蒼白になっている。

「お帰りなさい」紅は受付から立って、2人をカフェに案内しようとした。お化け屋敷を出たら、街に出る前に一息吐けるよう、1階のカフェで飲み物が1杯無料で振る舞われるサービスがあるのだ。

 ヒノキは、自分たちを待っていた笑顔に気づくと、目をうるうるさせて、エスカレーターを降りきらない内から、紅に突進してきた。

「こわかったよぉ〜!」愕く間もなく、紅はもう、ヒノキの腕の中にいた。抱きしめる、というよりは、縋り付いているつもりのようだ。鼻をぐすぐすさせて、頬の辺りにはまだ鳥肌が立っている。

「もう大丈夫だよ。よしよし、怖かったねぇ」紅は頬を緩ませて、震える少年の肩を、優しく叩いた。

「うえぇぇ……」全く「うええ」としか表現できない変な声を出して、ヒノキは紅の胸もとに額を擦りつける。

「……こらっ、ヒノキ!」ヒノキの所行のおかげで恐怖から現実に戻ってきたらしいマキも、紅のところに慌てて駈け寄ってきた。「済みません本当に、こいつ、怖い話とか好きなくせに怖がりの甘えん坊で、」

「おいこらクソガキィ、テメェ、俺の細君に何してくれてんだ」

「ぼえぇええ……っ」弓助の怒鳴り声も無視して、ヒノキはまだ泣き続けている。

「妙な声でいつまでも泣いてんじゃねぇ、もう大人だろ。大人は人前でそんな泣き方しねぇんだよ。オラ、離れろ!」弓助はヒノキの首根っこを掴んで、紅から引き剥がした。

「さい……くん、って、なに君?」水っぽい目で弓助を見上げてヒノキは訊く。目以外は至って普通の、きょとんとした表情だった。

「おまえちゃんと勉強してっか?」弓助は片眉を上げる。「俺はこいつの、こいつは俺のパートナー。結婚相手。細君は、妻のくだけた言い方だよ」

「えっ、じゃ、この人が淡竹屋の〈紅〉……!」叫んだヒノキの隣で、マキも目を見開いている。

「言われてみれば、ちっちゃいくせに、ただ者じゃないオーラが……」珍しい昆虫でも観察するかのように、ヒノキは紅の周りをそろりそろりと廻りながら呟く。

「嘘つけ。ンなオーラ感じてたらあんな気軽に抱きつけるもんかよ」弓助が吐き捨てるのを無視して、ヒノキは改めて紅の正面に詰め寄った。

「オレっ、銀の命の恩人の、ヒノキです! 改めまして初めましてよろしくまして!」

「バカ、そんな挨拶あるか、」マキが弾かれたようにヒノキの半身の前に肩を入れる。こういう動きが癖になるくらいには、普段からヒノキのフォローに勤しんでいるようだ。「失礼ばかりで済みません。僕たち、銀の昔の知り合いで、弓助さんにも、親切にして頂いた恩があるんです。今日は、久しぶりにお会いしたくて、やって来ました」

「オレの成人旅行ついでにね!」両手の親指で自分をさして、ヒノキはウインクを投げた。

「もう、大人しくしてろよヒノキ!」

 紅は笑って手を差し出した。「菊竹紅です。お2人の話は銀から聞いてます。こうしてお会いできて嬉しいです」

「僕も、光栄です、」マキもすぐに手を出した。握手をする。

「オレも! オレもアクシュ!」ほんの数秒も待ちきれぬというように、ヒノキがマキの体を横から押しくらまんじゅうのように押してくる。

「ヒノキ!」今日何度目かしれぬ怒声を浴びてもどこ吹く風だ。

「ねー紅、オレの友達になってよ、ね! ね!」ヒノキは両手で握った紅の手を、胸の位置まで持ち上げて、正面から顔を近づける。ほとんど鼻が触れそうなほど。

「近ェんだよ色ガキィ!」

 凄んだ弓助をチラリと横目に見ると、ヒノキは、脣をわざと歪めてニヤリと笑った。甘えた声で再び紅に近づく。

「ねー紅、連絡先交換っこしよー」

「もちろん、いいよ」

「マキー、」ヒノキは斜め後ろを振り返る。マキが、バッグの外ポケットから携帯電話を取り出す。聞けば、2人で1つの機器をシェアして使っているらしい。もちろん管理はマキの担当なので、ヒノキは番号も使い方もろくに覚えていない、というより覚える気がないらしかった。

 紅は、渋い顔でこちらを見ながらも、他の店員に呼ばれて場を離れていく弓助を苦笑で見送りつつ、マキと連絡先を教え合った。


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