『その先ふたりがどうしたかは知らない。』

 紅はシャワーを浴びて、弓助の部屋の扉を開けた。ノックは省いて。時間は、深夜1時45分。

 弓助と紅の今の住まいには、それぞれの寝室がある。このビルができる以前、彼らは首都の片隅の、東部街と呼ばれる地区に、古い風呂なしアパルトの一室を借りて住んでいた。ひとつの部屋に、シングルサイズのふとんをぴっちり並べて、毎日眠った。

 いや、明け方近くまで眠らない日も、結構あった。

 手を伸ばせば、隣の体に触れることができたから、誘いをかけるのは簡単。どうせ同じ部屋にいるしかないのだから、断るのも野暮。思い返してみれば、恋人同士が愛を育むのにはお誂え向きの環境だった。

 今となっては、それぞれの部屋にいったん引っ込んでしまうと、その後の手続きはちょっと面倒だ。相手に触れたい気分になっても、わざわざ部屋まで訪ねていって、乗り気かどうかを探るところから始めなければならない。

 それに加えて、娼館・淡竹屋が、お化け屋敷・ハチクとして生まれ変わって、まだ半年足らず。オーナーという立場に戻った弓助も、総合受付で、店員たちを束ねるマネージャーとして働く紅も、毎日、くたくたになるまで働いている。性交渉の頻度も、それにかける時間も、グラフにすればガクンと右肩下がりになっているのが現状だった。

「……そんで、夜這いにきたと、」書き物机から首をめぐらせた弓助は、ローションの入ったボトルを片手に、オーバーサイズのTシャツを被っただけの格好で仁王立ちしている恋人の姿に、片眉を上げてため息をついた。弓助の薄い色の瞳には、嘲りと呆れと、相手の行動を面白がる笑みが浮かんでいた。

「乗り気じゃないなら今日はいいよ、って、言わなきゃかもだけど、」紅はTシャツを脱ぎ捨てて、裸で弓助のところまで駈け寄ると、有無を言わさず、その脣に吸いついた。回転椅子を回して、体ごと自分の方に向かせる。

「……ん、……っぅ、ふ……」鼻から洩れる弓助の声は、すごく、すごく、セクシーだ。紅は耳からも体を熱くしながら、弓助の膝に乗った。裸の腰を、すぐに大きな両てのひらが支えてくれる。

「……いいの?」紅は少しだけ脣を離して訊いた。

「煽ってから訊くんだもんな」すぐそこにある、弓助の脣の端が吊り上がる。

「ボス、ね、口、開けて、」

 紅の言葉に、弓助は鼻からごく軽く息を洩らし、素直に口を開いた。その下脣を、歯と一緒に親指で柔く抑えて、もう少し縦に大きく口を開かせる。紅は顔を横向きにして、中に浮いた弓助の舌を、自分の舌先で絡めとって、飲み込んだ。左の頬に、弓助の鼻息がかかってくすぐったい。

 脣もつかって、弓助の舌をフェラチオするみたいに扱くと、腰を支える指先に、グッと力がこもった。弓助が感じているのを感じることが、紅にとっては、体への直接的な刺激と同じくらい、はっきりとした快感となる。

 キスを続けながら、紅は、持っていたローションの蓋を開ける。すると、腰の左側を支えていた弓助の手が離れて、紅がてのひらに溜めたばかりのローションを掬った。その手はそのまま、弓助に跨っていることで開いている、紅の裏口をくすぐりはじめる。

「……んぁ、……あ、……ボス、」体の中に入ってくる、大好きな指の感触にうっとりしながらも、紅は、乾いている方の手で、弓助のスウェットのウエストを手前に引っ張った。ローションで濡れた手の方を、下着の中に潜り込ませ、まだ固くなりきっていないその部分を、てのひらで揉みこむ。

 本当は、頬ずりして、口の中でじっくり味わって育てたいのだが、今の体勢ではそれはできない。弓助の指が、弱い部分を的確に突いて、紅は、高い声をあげた。快感に震えながらも、負けじと、存在感を増しはじめた弓助のそれを外に出して、両手で大きく扱く。

「あー……、だめだ紅、もう、ベッド行くぞ、」3本入っていた指が抜ける。紅は切ない顔で弓助の膝から下りかけたが、それより早く、弓助が紅を抱えて立ち上がった。ベッドまでの短い距離を、木に掴まるコアラのような、色気のない抱っこで運ばれる。

 ベッドの真ん中に仰向けに下ろされると同時に、弓助がのしかかってきた。紅は膝を開いて迎える。脣を重ね、胸を、腹を、性器を、ぴったりと触れ合わせて、抱きしめあいながら、舌を絡ませる。立ち上がった弓助の欲望の形を、自らのそれで感じると、紅の体の奥は、これからやってくる固さと熱を待ちわびて、早く早くとうごめいた。

「ボス、……も、んぅ……っ」催促のせりふはさらに深くなったキスに遮られる。もう欲しい。待てない。はやく、中を、埋めて、動いて、擦って、めちゃくちゃにしてほしい。口を封じられた紅は、腰を捩じらせ、足の指まで使って、動物的に弓助を誘った。

「お、まえ、……ッ、」笑うような、短い息の音がしたかと思うと、弓助の上体が急に上に離れた。

 ――来る。

 その期待に心臓が跳ねる。紅は大きく開いた脚を自ら抱えて、愛しい男の体が、自分めがけてもう一度降りてくる時を待つ。

「……ハ、……あ、……あぁあ、あ、……ボス、あぁ、ボス……!」内側の空洞に満ちてくる、たまらない、大好きな、愛おしい、質量。この熱さ。この形。「あぁ……、ボス、きもちい、……ボス、……もっと来て、もっと、…………」

「……ッ、」グン、と、奥の奥を抉るように、弓助が腰を突き出す。全てが、紅の中に沈められた。

「アァッ、……あぅ……、……そこ、……そこっ、いいっ、ボス……ぅ……ッ」

 えらの張った、格好いい部分が、手前と奥の、紅のいいところを、何度も何度も抉りながら往復する。その度に、紅は顎を持ち上げ、腰を浮かせて、甘く泣いた。

 ゴリ、ゴリッ、と、体の内側から聞こえる音に、熱い瞼を閉じて聞き入る。自分の柔らかな腹の中を、固い弓助が、行き来する音。弓助に、抱かれている音だ。そう思うと、淫らな性感と、純粋な歓びがひとつになった、黄金色の快感が、紅の全身を押し包んだ。

「あッ、ボス、ボスぅ、んっ、……すきっ、ボス、好き、あッ、好き、だいすき、ボスぅ……」烈しく揺さぶられながら、紅は、泣き声で好きだと繰り返した。律動がふっと緩んだかと思うと、濡れたコルクを抜くような音と共に、紅の中にあった弓助のペニスが引き抜かれる。

「や……っ、なん、で、」涙を溜めた目で弓助を見上げた紅の顔に、汗が降りかかる。弓助は荒い息をしながら、腕で自分の顔の汗を拭い、紅の体をうつぶせにした。ぴったりと、後ろから体を密着させて、もう一度、紅の中に入り直す。

「ああぁッ……、あ、……あ、……あァ……ン!」

 ハッ、と、熱い息が襟足にかかる。弓助は、掠れた色っぽい声で、二度、紅の名を呼んだ。ぎゅうぎゅうに抱きしめられながら、揺すられる。互いの汗にぬめる体は熱く、擦れ合う内側も熱く、溶けて、燃えて、形なんてなくなってしまいそうだった。

 はしたない音をバカみたいに立てて、ベッドの悲鳴も無視して、ふたりは、愛の深間に分け入っていく。

「あーっ、あーっ、あーっ、あー……ッ……、」

 ボスの腕。ボスの熱。ボスの息。ボスのリズム。ボスのペニス。ボスの、

 紅はもう、それを感じるだけ。自分のすべてを使って、愛する男の全てを感じるだけだった。

 そして、弓助にも自分を感じてもらうために、体を動かすだけ。その的確さを測るよすがは、後頸にかかる吐息と、汗と、彼のくれた自分の名前。

 これが、本当の快楽。

 弓助の動きに合わせて、彼を締め付けながら、紅は、弓助の手に導かれて、射精した。震えは間欠的に続き、「あ……、あぁ……、」と、上ずった喘ぎも暫く止まらなかった。

「…………悪ィ、……中、出しちまった……」

 耳の裏を掠める脣が、そう言った。くすぐったさに、紅は首を少し捩って、背後の弓助に横顔を見せる。

「ん……だいじょうぶ、きれいに、してきたから……」

「そっちじゃねぇよ」弓助の手が、頭の後ろを優しく叩く。

 後から密着されて熱い背中に、すっと、空気の細い流れを感じた。弓助が、体を離そうとしているのを察して、紅は慌てた。「ボス待って、」

「ん……?」弓助が動きを止める。

「まだ、抜かないで。もうちょっと、動かないで、そのままで……」

「けど、重いだろ」

「今、引っこ抜く動きされたら、何か、洩らしちゃいそ、だから、」

 弓助が笑ったのが、体の底から伝わる。

「いいぜ、別に何洩らしても。マットは防水だしな」

「そうゆ、問題じゃ、ない、って……」

 後ろから回された頑丈な腕が、うつぶせの紅の体をすっかり巻いて、抱きしめた。弓助はその腕で、自分の体重を支えているようだ。

「いいよ、ボス、俺の上、のっかっても、」

「バァカ、俺が見た目より重ィの、知ってんだろ」

 自分で言う通り、弓助は服を着ているとスリムに見えるが、実際はみっしりした筋肉を身につけている。紅を抱え込んだその腕も太かった。ペニスにできなかった可愛がりを取り戻すように、紅は、自分を抱きこむ弓助の二の腕に頬ずりをした。

「……俺、昔っからセックス、好きだったけど、」ぐりぐりと、頬を腕の内側に押し付け、尖らせた脣で小さな音をたてて吸い付く。「こんなにまだ、好きになれるなんて、知らなかった。ボスに抱かれて、初めて知ったこと、いっぱいあるよ。色々、研究とかしてきて、何でも知ってる気でいたけど、……そんなこと、なかった。俺……、」

 言葉の途中で、紅は黙った。その目は大きく見開かれ、弓助の方に顔を向けようとしている。だが、後から抱き込まれている体勢のせいで、筋肉の浮かんだ肩くらいしか見えなかった。

「ボス、……疲れてるんだよね……?」紅の中に居残っている弓助の一部は、勢いを取り戻しかけていた。愕きと嬉しさで、紅の口の端が緩む。

「疲れてるよ。おまえだってそうだろ?」バツが悪そうに歪められた弓助の表情は、紅からはよく見えない。

「うん……」ごくりと、つばを飲む音。紅の大きな目は、冷凍庫の中に思いがけずアイスを見つけたときみたいに、輝いている。

「疲れてんだ……」弓助の腕の輪は崩れかけ、体はより密着し、後頸に、熱い吐息と、啄ばむ感触。

 時間は、深夜2時24分。

 朝はまだ、この深間からずいぶん遠くにある。


(2016年10月16日/ボスの日)


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