02

猫とどんぐり

 スズが正団員として所属している『ザ・サーカス』という娼館は、かつて裏社会の神とも呼ばれた《毒蛇》が率いていたことでも知られる、この国で最も格式の高い、政府公認の高級娼館だ。数年前までは各地を転々としながら興行する移動娼館だったが、現在では都心の隅に店舗を構えて営業している。

 スズの言った『スター』というのは、移動娼館の一番人気に与えられる呼称だ。言わばスズは、この国にどれだけ居るか知れない娼妓たち全ての、頂点に立つ存在なのだ。

 だからあんな、御料車クラスのリムジンにも乗ってこられる。

「しかしおまえ、いくら頑丈な車体っつっても、目立ちすぎだろあの車」俺が表の車に目を遣って言うと、スズも同感だというように肩を竦めて、同じ方を見た。

「団長命令で仕方なく乗ってんの。手榴弾も効かないらしいよ、あいつ」と脣の端を上げる。「けど、本当に俺の身を案じてんなら、まずあんな派手な車に乗せないよな」

「ザ・サーカスも平和になったってことだな。いいことだ」

「あ!」

「どしたの紅?」

「運転手さんにお茶だすの忘れてた! いつもの人だよね?」

「うん。悪いな、ありがと」

 ついでに俺たちにもコーヒーをいれてきた紅が、運転手のぶんのカップを手に、表へ出て行くのを見送って、

「あーあ、紅は今日もかわいいなぁ」スズはしみじみとそう言った。コーヒーをひとくち啜ってから、机の上の、俺が元からかけていた方のサングラスをかけると、「似合う?」と小首を傾げてこっちに顔を向けた。

「3秒前からかけはじめたって感じ」俺の素直な感想に、「まんまじゃん」と脣を尖らせる。

「つうか弓助、聞いたぜ。結婚前に衆人環視の中でディープキスかまして、紅とのラブラブ宣言してたんだってな、」

 緘口令を敷いたのに、いったい今さらどこから情報を仕入れたのだろうか。前の冬の、雪が積もった日のことだ。白昼の店の前で俺が紅に熱いキスをしたために、通りじゅうを絶句させてしまった、ということがあった。その後、一部始終を見ていた真には大笑いされ、紅には怒られたのであるが。

「……知らねぇよ」

「弓助のキャラじゃないよなぁ」

「うるせぇ。大人をからかうな」

「俺だってもうじゅうぶん大人だよ」

「俺から見りゃぁいつまで経っても子供みてぇなもんだよ。おまえらが10かそこらの頃から知ってんだから」

「その子供に惚れて店潰したのはどこのどいつだよ」スズはそう言って、美しく眉を吊り上げてみせる。

「…………俺だよ、クソったれ」

「ハハ、正直」悪い笑い方をして、スズは机から飛び降りた。

 こうして向かい合ってみると、俺たちの身長は、もう、ほとんど変わらない。改めてそれを確認すると、奇妙な感覚がやってくる。目の前のスズから、強く長い、既視感を覚えた。スズが、普段はかけないサングラスなんてかけているせいだろうか。

 俺と同じくらいの身長。人をくったような笑み。暗い茶色の髪。そして――俺は腕を伸ばして、スズからサングラスを取り返した。茶の混じった緑色の、きらきらと輝く瞳が、俺をみつめている。

 スズの外見の特徴は、《毒蛇》の特徴と、どこか似た印象を持っている。けれど、いざきちんとひとつひとつのパーツを見比べてみると、その形も色も、ずいぶん違う。それでもやっぱり、全体の印象として『似ている』と感じてしまうのは、彼が毒蛇の息子であるという先入観を、俺がすでに持っているせいだろう。

 血のつながりが本当にあるのかどうかは知らないが、ともかくスズは、《毒蛇》の一人息子だ。言い換えれば、紅の命を間接的に、しかし決定的に救ったのは、スズだということになる。スズが、『毒蛇の息子のスズとして』この世に存在しなかったなら、紅は淡竹屋へ辿り着くことなく、死んで――いや、殺されていただろう。

 スズは、段ボール箱の前にしゃがんで、中を漁りながら、「俺、弓助はいつか絶対紅に落ちるって、わかってたよ」と、更に俺を追い詰めるようなことを言い出した。

「なんでだ?」

「弓助は、紅を子供扱いなんてしてなかった」

「…………そう、だった、かぁ……?」

「……紅泣かせたら、殺すぜ、弓助」本気の目で、スズは俺を振り仰いだ。

 似たようなことを、あの雪の日に真からも言われたばかりだ。というか、『泣かせたら殺す』って、罪が重すぎないか。全く、俺が信用がないのか、紅が愛されているのか。

「わかってるよ」と、素直に返事をしておく。

「なら結構」偉そうに言って立ち上がったスズの手には、『紅』と名前が書き入れられている袋が握られていた。それを俺に押し付けてくる。

「これも紅に買ったんだけどさ、どっちかというと弓助への土産だから、ハイ」

 包みを開けると、中には、白い猫の耳のついたカチューシャが入っていた。

「スズ……おまえなぁ……」台無しだろう、色々。ハハハ。スズは口をでっかく開けて笑った。

「使ってよ、色々。ま、紅は猫っていうより、リス……っていうより、あれだ。リスが食べてるどんぐりに、似てるけど」

「怒られるぞォ。似てるけど」

「似てるよな」

 なんて言っていると、入口のドアが開いて、どんぐ……紅が戻ってきた。ふっ、と、スズの口から笑いがもれる。俺は下脣を噛んでつられそうになるのを堪え、スズの脇腹を小突いた。紅は眉を寄せて、胡乱な者を見る顔になる。

「……なぁにぃ? 何か変な話してたでしょ」

「してないしてない。なぁ、弓助」

「そうそう。別に……あ、そういやスズ、おまえ、また真の居ない時に来やがったなァ」

「ほんとだ。お互い10年も同じ店に顔出してるのに、一度も会ったことがないって、逆に凄いよねぇ」強引に逸らした話題に、紅はうまく食いついた。

「ある意味運命って感じ? でもこうなってくると、なんか会うのが怖いんだよなぁ。『2人が出会うそのとき、世界が恐怖に飲み込まれる……!』」

 3秒後にやってきても何ら不思議ではない真との出会いに、スズは不吉なキャッチフレーズをつけて笑った。紅も笑ってそれに乗っかる。

「地震とか竜巻とか?」

「そうそう。海が乾上がるとか」

「宇宙人の襲来」

「弓助が禿げる」

「それは一番の恐怖だ……!」

「アホか」ガキ同士が好き放題言ってはしゃいでいる向こうに、ちらちらとこちらを気にしはじめている運転手の姿が目に入る。

「スズ、おまえ、そろそろ時間なんじゃねぇのか」

「おっと、本当だ。行かないと」ブルゾンの袖をちょっと捲って、スズは自分の腕時計で時間を確認した。目を惹く青いレザーベルトに、サファイヤの埋め込まれた文字盤。針は9時半を指している。

「えー、もう?」

「今から撮影なんだ。雑誌の」

「撮影って……顔出しで?」紅が目を丸くする。俺も、いささか愕いた。昨今、色々な場で、ザ・サーカスや、それ以外の高級娼妓の顔を見ることも増えているが、スズはこれまで一度も、表に顔を出したことはなかったのだ。

「最初で最後の、な。つうかさぁ、表紙で巻頭特集って話なんだけど、本気なのかねぇ。娼妓なんかカバーにしても売れないと思うけど」スズは鼻で笑う。ザ・サーカスのスターが出てきて売れないわけはないのだが、要らぬ謙遜をする性格ではないので、本当にそう思っているのだろう。世間知らずな奴だ。

「じゃ、またな。弓助、白猫ちゃん、かわいがってあげてね」

「無駄口叩いてねぇでとっとと帰れ」俺は足で蹴飛ばす格好をして、生意気なスターを入口まで追い立てた。

「頑張ってね、スズ。またね」

「おまえもな、紅。また連絡する」

 スズは、うっすらとふくらんだ涙袋をせり上げ、自分の方がよっぽど猫らしい笑みを残して、リムジンに乗り込んだ。その後ろ姿が見えなくなってから、紅がまん丸い目で俺を見上げてくる。

「ボス、白猫ちゃんって、何のこと?」

 おまえのことだよ、どんぐりちゃん。


(2009/03/04)

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