03

ONLY ONE WAY

「でっか……」

 香春は息継ぎと一緒にそう言って、正面からでは口に入りきらなかった根元に横からかぶりつき、じっくりと舐めあげていく。嘘のように上手い香春の舌づかいと、逆に死ぬほどぎこちない縛られた両手での愛撫に、ゆうべ三発キメて疲れきってるはずの俺のコックも、すっかり元気を取り戻している。どくどくいう脈を舌先でなぞられると、喉から変な声が出た。「んヒッ、ぅ……ッ」

「……マジ……でかい……」

「おま、……ッ、なに言っ……」

 わざとなのか、香春はかなり無神経に音をたてた。それも、ちょっと失敗して音が鳴ったとかいう感じではなくて、ただただ没頭して音などに構っていられない、といった具合なのだ。ペニスをいっぱいに頬張った脣の端に、白い泡が膨らんで、垂れる。汚らしい。けど、すげぇ、やらしい。

「口ん中、いい? たぶん、あんま、出ね、から……」

 返事の代わりに、香春は俺のを深々と銜えてから、啜りあげた。頭の動きがいっそう丹念に、烈しくなる。勢いを増す粘った音が、俺の官能を炙った。

「ア……、……来る、……う……ッ!」

 俺は香春の後首をつかまえて腰を突き出し、動かし、

 ――――…………ハァ。

 重い瞼を持ち上げる。

 香春は、落ち着かない目で俺を見上げていた。何だ? 俺が何の反応も返さないでいると、横を向いて強く目を瞑る。喉が鳴って、白いのどぼとけが上下した。

「え、……飲んだの?」

「吐く場所、ねぇから」

「あ……そっか。悪ぃ」

「平気。ちょっとだし」

「昨日さんざん絞られてさ」言った後で、今の言い訳っぽかったな、と思っていたら、香春が、「言い訳?」と笑った。さっきから、無駄に通じ合っている。

 香春が目を細めると、ちいさな犬のようにほとんど黒目だけになった。俺の足下に座り込んだ姿勢で見上げてくるので、まるで本当に行儀の良い飼い犬のようだ。俺は、香春が結局、最後まで自ら解くことをしなかったネクタイを解いて、両手を自由にしてやった。

「手首、変になったりとかしてねぇ?」

「おまえあんまきつく結んでなかっただろ。平気」

「あー、ネクタイ、さっきよりしわくちゃになったかも」

「別にいいよ……ていうか、おまえって、」笑いだした香春は、言葉を続けられずに肩を揺らした。

「何だよ」

「いや……おまえ、だって、なんか妙に気ぃ遣ってくるっつーか、優しいから。ネクタイ解いてくれるし、普通に謝るし。もっとイイ性格してんのかと思ってた」 

 香春は「よいしょ」と言って立ち上がった。おっさんくせぇ。うるせぇ。だせぇ。うるせぇ。言い合って、また笑う。ネクタイは締めるのを諦めたらしい。丸めてシャツの胸ポケットにつっこんでいる。

「おまえって、女関係の良くない噂すげぇあるじゃん。なのになんでモテてんのか不思議だったんだけど、理由がちょっとわかった気がする」香春はそう言って、脣の端を引き上げた。

 弱みを知るなりフェラチオさせるような奴を褒めてどうしようというのか。

 俺は反応に困って、セーターを着はじめた香春の背中をぼけっと見ていた。自分も身支度をしなければと途中で我に返って、ズボンのチャックを上げ、ベルトを締める。と、盛大に腹が鳴った。

「他人の腹の音なんて久しぶりに聞いた」香春はまた、邪気のない顔で笑った。朝飯食ってねんだよ。口に出したら、また小さく腹が鳴る。

「そういや今日木曜? 学食、コロッケ丼二割引の日だ」

「いくら?」香春は、俺がそう言っただけで、自分がたかられていると察したらしく、制服の尻ポケットから財布を取り出した。

「三六〇円の二割引」

「だから、いくら」

「えぇと、二八八円、か?」

「にひゃくはちじゅうはち……」呟きながら五百円玉を取り出しかけた指を、香春は途中で止めた。

「やっぱ、俺も学食行こうかな。コロッケ丼、まだ食べたことないんだ」

「マジで? あれ食べないでウチの生徒は名乗れねぇぞ」

「やべぇ。三年も名乗ってた」

「非校民め」

 香春は扉に耳をつけて外の様子をうかがってから、素早く扉を開け、廊下に出た。俺も早足で続く。

 うちは、一続きの敷地内にある私立大学の、付属高校だ。学食は大学との共用なので、どんな時間に行ったって、教師にさえ見つからなければ、別に何も言われない。他に、プールと運動場も、大学と共用だ。だからそれらの設備は、大学の構内でも、かなり高校寄りの場所にあった。三年の校舎からなら、移動に三分もかからない。

 空いている学食に、二人で入る。点々と散らばっている大学生の顔は、どれも安穏として見えた。昼休みになれば、誰もが殺伐として長蛇の列に並ぶのだが、それが馬鹿らしくなるほどの長閑さだった。

 俺は香春のおごりで食券を買い、コロッケ丼を注文した。ごはん大盛りツユだくで、二つ。丼が出てくるのを待つ間に、香春の位置をたしかめる。香春は、高校側の入口からは死角になる、自販機の前の席にいた。どうやら飲み物もおごってくれる気らしい。机の上に、コーラのペットボトルが二つ置かれた。

「期待できねぇ組み合わせだな」湯気をあげるコロッケ丼を、お盆ごと机の上に載せて、俺は言った。香春は興味深そうに覗き込みながら、「ガイジンはやっぱコーラがいいのかなと思って」などと宣った。

「そうそうそうやっぱコーラじゃないとね、って俺、日本から一歩も外に出たことねんだけど」

「……うっわー、やっちゃったぁ……。ひでぇ。今のノリツッコミはひでぇ。そして痛ぇ」香春は、完璧に退いた半笑いである。俺は恥ずかしさを、コロッケ丼をかき込むことでごまかした。

「つかおまえもコーラかよ」大きく響いたペットボトルの蓋を開ける音に、俺は顔を上げた。

「マズいもん飲んだから炭酸で紛らわせようと思って、致し方なく」

「そりゃすんませんでしたね」

 しれっとした顔で際どいことを言う香春は、その言葉通り、ひとくちめのコーラで軽く口をゆすいだようだった。いま、こいつの口の中はどんな味がしているのだろうか。想像すると、背筋がぞくぞくっとした。気持ちいいんだか、悪いんだか、よくわからないぞくぞく。

「虫歯になりそう」などと笑いながら、香春はコロッケ丼に箸をつける前に、ペットボトルの半分を飲んだ。それから、微妙におかしい箸の持ち方で、コロッケ丼のコロッケをまず口にいれた。

 授業をさぼって、一緒に飯なんて食って、無駄話して、まるで友達だ。変なの。顔と名前が一致したのもついさっきなのに。そう思っていたら、

「なんか、変な感じだな」と香春も言った。まただ。また、同じようなこと思ってた。俺は、自分のコーラの蓋を思いっきり捻った。鋭いがどこか間の抜けた音と共に、中身が微妙に飛び出て、指の又に甘い黒い炭酸水が溜まった。香春に舐めさせたいと、一瞬の欲望が湧いた。手を振って、それを吹き飛ばす。

 初めてのコロッケ丼の味は、まぁまぁだったらしい。普通にうまかったけど、三年分の期待がでか過ぎた、と香春は言った。

「でも、これで俺、卒業後も胸を張ってウチの高校出身だって言えるんだよな」

「……て、おまえ、外部の大学受けんの?」そんな奇特な奴は、みんな理数コースに行くものとばかり思っていた。うちのクラスは私立文系コース。小論文一つで付属の大学へ上がる気満々の、つまりは大学受験をやる気のない奴ばかりが選択するコースだ。

「うん、まぁ。そのつもり」

「そんな奴が授業さぼって平気なのかよ」

「もう自習か復習しかやってねぇじゃん」

「でも、出席日数とか」

「朝のホームルームんときに気分悪くしたことになってるから、多分欠課扱いにはされないだろ。わかんないけど」

「それで教師とやってたわけだ……優等生こえー」

 香春は、微妙な顔で笑った。微妙としか言い様のない表情だった。それもすぐに引っ込める。

「尺って奢ってやったんだから、秘密にしてな」醤油とって、というくらいの気軽な声で、香春はまた際どいことを言った。俺は返事をしなかった。

 ふと、香春が顔を上げて俺の背後を見る。

「"コーラとコロッケ丼の組み合わせって、流行ってるの?"」何かと思って振り返る前に、背後から日本訛りのアメリカ英語で声を掛けられた。フランスとイギリス、あと確か、イタリアとポーランドとブルガリアのミックスでつくられた俺である。いきなり英語で喋りかけられるのは、よくあることだった。

 振り向くと、そこには大学生らしきオネーサンが立っていた。いかにもガイジン好きの日本人、って感じの、派手めの美人だ。

「あなた留学生?」オネーサンは英米学科の二年だという。割と好みのタイプだったので、俺は留学生になりきって、あまり自信はないがアメリカ風の英語に、時折下手な日本語を混ぜて、相手をした。

「レイカー、俺、先に戻るから」わざとのように、香春は俺の名字を呼んだ。丼を二つ重ねて手に持ち、席を立つ。

「ありがと、わかった」カタコトっぽい発音で返事をすると、香春はバカにするように眉頭を上げてみせ、身を翻した。

 週末のデートの約束を取りつけた頃には、二限目の授業も終わりそうな時刻になっていた。オネーサンとバイバイのコーラくさいキスをして別れ、高校の校舎へ戻る。

 階段を上りながら横目に見た、二階の踊り場から延びる廊下は、やっぱり寒々しく、薄暗かった。しかし、その予備教室Bに至る道のりは、今の俺の目には、何か妖しい魅力を湛えているようにも映った。俺はいつかテレビで見た、水で満たされた美しい洞窟を思いだしていた。

inserted by FC2 system