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ONLY ONE WAY

 松江宅のリビングでの時間は、思っていたよりずっと、和やかなものになった。

 俺たちは、今の高校生と10年前の高校生の流行の違いや、中身の馬鹿馬鹿しいほどの変わらなさ、ふたり(もちろん松江と幸さんのことだ)のなれそめ、簡単に済ませるつもりだった結婚式を互いの両親の意向で派手にやることになってしまった苦労話なんかを、コーヒーをおかわりして、夕食までご馳走になるほど、楽しくだらだらと話した。

「それでね、フラワーシャワーってあるでしょ。式の後、新郎新婦が退場するときに、わーってみんなに掛けてもらうやつ。あれ、生花にするとすごく高くついちゃうから、色紙を型抜きして作ることにしたんだけど、」ハァ、と苦笑しながら息を吐いて、幸さんは松江に視線を遣った。

「これが、悪夢みたいに終わらないんだ」同じく疲れたような薄笑いで、松江が部屋の隅を指した。色々の雑誌や、何かわからない板きれや蓋付きのカゴ等と一緒に、色とりどりの画用紙と、四葉のクローバーや鳥やハート形の型抜きパンチが置いてあった。

「俺、少し手伝わせてもらっても、いいですか」香春が言った。

「ほんと、いいの? 助かるわ」いそいそと机の上を片しはじめた幸さんは、その瞬間の、松江の微妙な表情の変化には気付かなかったようだ。

「……ありがとう」松江は言った。香春は、食器をキッチンに運んでいく幸さんの背中を笑顔で見つめながら、「いえ」と小さく首を横に振った。

 それから4人で、フラワーシャワーを作った。作業に慣れている幸さんたちのやり方に倣って、画用紙の端から一個ずつ、パンチで型を抜いていく。バッツンバッツンバッツンバッツン、絶える事なく型抜きの音が四方から上がって、付きっぱなしのテレビが何を言っているか全然聞こえないほどだった。

 俺は、目算を誤って型と型の間に中途半端な余りを作ったり、かと思うと隣のすでに型を抜いた跡に新しく抜く型を被らせて、虫食いみたいな変な形のクローバーを作ってしまったりした。一方の香春は、緑色の画用紙から、最大限の量の四葉のクローバーを、俺の倍の時間をかけて収穫した。上手に型抜きすると、画用紙はほとんど小さなダイヤ形の屑だけを残して消えてしまう。

 香春の、その丁寧な仕事に、一歩間違ったら涙が出そうなくらい、俺は、心を打たれていた。こいつが好きだと思った。同時に、無理矢理ここへ連れてきてしまったことを、詫びたかった。

「わっ、香春くん上手。私こんなだよ」最後に余った、ぎざぎざの細長い端切れを摘んで、幸さんが言う。似たような形の画用紙の屑を残して型抜きを終えていた松江が、「大丈夫、これに比べたら全然マシ」と俺の手もとの酷い有様を鼻で笑った。香春もこちらを見て笑いながら、散らばったダイヤの屑を、なめらかな指で一か所に集めていた。

 丁度そうして全員が作業の手を止めていたとき、20時前の延々CMばかりが流れるテレビで、健康食品の通販のCMが始まった。皆の視線がそのとき一斉に、テレビに集まる。皆というのは、俺以外の3人のことだ。遅れて俺も画面をちゃんと見ると、そこに映っていたのは、最近地上波であまり見かけなくなった、関西の、夫婦漫才コンビだった。彼らは漫才もせずに、健康食品の効能(男性が嬉しい成分もこんなに!)を大げさな表情で謳っている。

「なに、これ、そんなに効くの?」俺は訊いた。香春はもちろん、松江だってまだ、バリバリ現役だろうに。

「いや……、これ……、俺の……親なんだ」香春が、言いづらそうに、言った。

「えっ、マジ?」こっちを見ずに、香春は投げやりに頷く。人に言い辛い親の職業は、漫才師(崩れのテレビショッピングナビゲーター)だったのか。「あっ、だからおまえ、昨日の俺のノリツッコミにもあんな厳しく……」

「あれは俺がカタブツ公務員の息子だったとしても、退いたと思うけど」ですよねー。俺のノリツッコミを知らないだろうに、松江も幸さんも、それを見通しているような顔で笑った。

 帰りの玄関には、松江も出てきた。車で送るというのを、香春は固辞した。俺がもしこの場にいなかったら、どう答えていただろうとちょっとだけ考えたが、俺がいなかったら香春はたぶん今ここにはいない。そういうものだ、人生は。なんて、俺は少し浮かれた気分で思った。香春が松江の申し出を断ったことが、ただの遠慮にしろ、嬉しかったのだ。

 また来てね、と手を振る幸さんに、香春は明るく、「はい」と返事をした。

「おまえ、台所で幸さんと何話してたの」

 駅まで戻る道の途中で、先に口を開いたのは香春だった。街灯の少ない路地から見上げた空に、星がたくさん見える。剥き出しの二の腕があっという間に粟立った。

「特になんも……、てかおまえ、さ。数学の点数と引き換えに松江と……ってやつ、アレ、言葉通りの意味じゃなくて、単に松江に勉強教えて貰ってた、ってだけだったのか?」

「……当たり前だろ。そんな、松江先生が毎回定期テストの問題つくってるわけじゃないんだし。そもそも、定期テストの点いくら貰ったところで、受験本番で問題解けなきゃ意味ないし。指定校推薦なんか、取れると思ってなかったからさ」

「じゃあなんで、点数欲しくてあいつのこと誘ったとか嘘ついたんだよ、」

「大きい意味ではその言い方で間違ってないだろ。俺から誘ったのは本当だし、先生には毎日課題出してもらってたし、休みの日も勉強見てもらったりとか……色々、なんかそういう色々の手間賃っていうか……そういう感じで、……だったから。いちいちそこまで説明すんのも面倒で」

 色々、の中にはきっと、食事とか、デートとか、風邪の看病とかも含まれているんだろう。2人の関係は、やっぱり、ほとんど恋人に近いものだったのかもしれない。あの野郎、あんな上等の彼女がいて、若い男にも手ぇ出すって、どんだけふざけてやがるんだ。今ごろ、猛烈に腹が立ってくる。

 ふと気付いたら、隣に香春がいなかった。首を巡らせると、数メートル後ろに立ち止まって、空を見上げている。顎の裏の白さが目に焼きついた。

「……そういやおまえ、実家じゃ関西弁喋ってんの?」何でもいいから喋りかけたくなって、俺は訊いた。香春はちょっとだけ知らんぷりをしていたが、やがて渋い顔をつくって、こっちに視線を向ける。

「関西弁じゃなくて大阪弁。けど、俺のは単に学校で喋る機会がないってだけで、おまえの喋れない詐欺とは違うからな」香春は軽く脣を尖らせるようにして、俺に追いついてきた。「つーか、『気持ち伝えて松江への想いぶった切れ』みたいな格好いいこと言って、ここまで強引に連れてきたくせに、最初に訊くのそれかよ」

「あ、いや、もちろん、そっちのが気になってはいるんだけど、」

「俺と松江ふたりっきりにすんのも、何か、わざとらしいやり方だったしさ。台所からこっち覗いてんの、松江にもバレてたし」

「えっ、……いや、……悪ぃ。で、でも全然、何話してっか全然聞こえなかったし、」

「ありがとな」香春は脈絡なく言った。

「え、」

「ありがとう」俺を真っ直ぐに見つめて、繰り返す。恥ずかしくなってきて、俺は香春から視線を逸らした。

「……私利私欲で動いたんだ、俺は」

「それでも」香春は息を抜くようにして笑む。「俺、おまえのそういうとこ、割と好きだよ。自分のことよくわかってて、素直で」

「……ま、……マジ? 俺のこと、嫌いになってねぇ?」

「うん」

「じゃ、毎日、クラスでも話しかけたり、あと学食とか、休みの日デートにも誘ったり、点数稼ぎにたまに奢ったり、とか、しても……?」

 香春は声をあげて笑った。ほんとおまえって。そう言って、また笑う。

「いいよ。それはおまえの恋だから好きにしろよ。けど、本気で俺を巻き込みたいなら……ってなんか、言い方がいい女みたいでキモいけど、……でも、できたらちょっと、のんびりめで口説いて。……何か俺さ、……自分で思ってたより、ざっくり傷付いてるみたいなんだよ」

 香春はそう言って、俺の手を握った。ちぐはぐな行動に、試されてるような気になりながら、俺はその手を握り返した。

「ごめん」

「だからいいって、」

「あ……のさ、俺、幸さんのよりうまいコーヒー出す店知ってんだけど、今度行かね?」

「…………ぜったい幸さんのよりうまい?」

「た……、たぶん」

「絶対、って言えば行ったのに」えぇっ。俺は香春を見た。白い横顔がまた空を見上げる。脣が開き、何とか、と聞いたことのない、たぶん星の名前を呟いた。俺の手を離して、持ち上げたその手で、夜空を指す。次から次に、長かったり短かったり、たまに俺も知っている星の名前を言いながら、点と点とを結んでいく指先の動きが、画用紙のダイヤの屑を集めていた、さっきの仕科と重なる。俺は見とれていた。手を下ろした香春が、俺を見る。

「嘘。行くよ、いつ?」

 寒かった体が、いっぺんにあったかくなった。

 俺は、今から、と言いたいのを思い直して、明日、と言おうとして、それでもせっかちすぎるかと、明後日、と頭の中で躊躇しているつもりで、実際に、「い、……あ、……あ、」などと声に出していたらしい。香春はまた大きく笑って、勝手に、月曜の放課後行くことに決めてしまった。


(了)

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