01
Come baby
クノの右手のひとさし指には黒子がある。第二間接の少し下、親指がわの側面にくっついているそれは、何かと目につくのだ。例えば、書類をめくるとき。煙草を吸うとき。レイトの頭を撫でるとき。俺の体をどうにかしているとき。
「おめでとう」クノはそう言って、バイブレーターの埋められた俺の股へと手を伸ばした。
「あ……りが、と……、…………」
俺は礼を言いつつ、首を起こして、クノの黒子を目で追った。ついでに、ベッドの上に仰向けになっている自分の体も、視界に入る。ネクタイも緩めずきっちりとスーツを着込んでいる上半身と、すでに下着まで全て剥ぎ取られて、クノの前に大きく開いた下半身。反り返った自分の性器。その向こうで俺を見下ろしているクノも、体型にぴったりと合った、スリーピースのスーツを身に着けている。
つい先刻まで、俺たちは、このホテルの三階にある大宴会場で開かれていたパーティに出席していた。何のパーティだったのかは、俺は知らない。なにしろ、「出かけるぞ」と声を掛けられ、バイブを仕込まれ、気取った生地の良いスーツを着せられたのが、出発の十分前のことだったのだ。
クノと嬰矢(えいし)、俺の教育係のおっさん二人に連れ添われて乗り込んだリムジンの後部座席で、早々に腹の中の異物にスイッチが入った。
「……っ…………、」振動が、俺の一番弱いところを抉る。わざと、その角度で挿入されていた。身を捩って何度か座り直してみるが、その努力は徒労に終わる。
「……なぁ、パーティ、って、……これ、バレたら……」
「バレてもいいんだよ。知ってる奴にはな」嬰矢が、長い腕を俺の肩にまわしてそう言った。ふらふらと落ち着かない体に支えができて、少しだけ楽になる。L字を描いた座席の、短い一辺、最後部の席を一人で占領しているクノが、嬰矢の言葉を継いだ。
「今からやるのは、お前が正式にうちの団員になるための、最終試験だ」いいか、スイ・ラビ。クノは、閻魔のように俺のフルネームを呼んだ。嬰矢に預けていた体を真直ぐ立て直して、「はい」と返事をする。クノのつくりものみたいな黄緑の目が、ひとつ瞬く。
「お前がすべきことは、ただ一つ。俺たちはお前を、デビュー前の団員として、これからパーティで会う顔見知りに手当たり次第に紹介する。中にはうちの顧客もいるし、勿論そうじゃない知り合いもいるだろう。お前はその中から、お前の客となる可能性のある人間を見極め、出来るだけ多くの予約をもぎ取れ。タイムリミットは三十分。何か質問はあるか?」
「…………こんな、」言い淀んで、しかし、やはりおかしいと思い直す。俺が見習いとしてザ・サーカスに入団して、もう三ヶ月弱。いい加減、俺は気付いてる。この二人の悪い大人たちが、もっともらしい顔で俺に言いつけてくる要求のほとんどは、『本当はやる必要はないけれど、見てる方がおもしろいからやらせよう』という、傍迷惑な遊びであるということを。「こんな……、みんな、デビューする為に、こんなこと、してんの……?」
クノと嬰矢は目を見合わせて、笑った。
「少なくとも、俺はデビュー前にこんな恥ずかしい思いをした覚えはないな」嬰矢はしゃあしゃあと言った。
「お前のための特別メニューだ、スイ。途中でイッたら、再教育だからな」クノも平然と言う。
「覚えてろよ、くそ……っ……」罵ってみても、テーラードスーツで紳士に扮したヒヒジジイどもは、いやらしく笑うばかり。
「つか、ちょ、待って、……三十分、これ、入れっぱなし……?」
「そりゃあ、途中で出したりできねぇだろ」
「……むり、だって……こんな……」今だって、まともに座ってられないくらいなのに。
「無理しろ」
クノの静かな声は、どんな理不尽な要求でも、強かった。いや、強いという言い方はしっくりこない。言葉の持つ迫力が、鎖骨と背骨になって、俺を真直ぐ立たせる、ような……。挫けそうな心を打つ、よく撓う鞭のような、声。
そう、まさしく、神の声だ。
神様に命令された俺は、無理をしまくって、二本足で立ってられないような快感を踵で踏みにじり、次々に紹介される相手を見極めた。これぞという奴には、握手のときにてのひらを優しく引っ掻いてみたり、尻を撫でられれば、擦り付けて自分がどういう状態にあるかを伝えたりもした。このやり方でいいのか、ちゃんと上手くやれているのか、相手が本当に顧客なのか、手がかりひとつ与えられないまま、俺は少しでも気を抜けば千切れて飛んでいってしまいそうな体と頭を、動かしつづけた。
永遠のような三十分の後、会場を出た瞬間に、俺はその場に頽れた。足の立たない俺を、この部屋まで抱えてきてくれたのは嬰矢だったが、彼は俺をベッドに下ろすとすぐに部屋を出て行った。会場で久しぶりに会った旧い客と、待ち合わせているらしかった。
そうして、現在。
俺の中でうごめき続けていたバイブレーターの電源が、クノの手によって、ようやく切られた。訪れた静寂に、振動に慣れた体はすぐにはついて行けず、収縮した筋肉は無闇にバイブを締め付けた。クノはそれを、静かに引っこ抜く。
「あ、っう、…………ッ」
三十分以上堪え続けた衝動が、その刺激で、ほんの少しだけ飛び出てしまう。クノの上等のスーツに、濁った雫が滴った。
「………………、ご……め、」
「いいよ、これっくらい」鷹揚に笑って、クノは胸ポケットからネクタイと揃いのハンカチを取り出し、染みを拭った。「……お前、やっぱ逸材だったんだなぁ。お披露目三十分足らずで予約九件も穫った新人なんて、初めてだよ」
「調子いいこと言いやがって……」九件という数だけ聞くと、なんだその程度か、と思ってしまうのだが、どうやらそれは凄い数字であるらしい。
「しかしお前をスカウトした俺も、やっぱり凄ぇよなぁ」
「ナルシスト」
ハハ、と声をあげて笑う。クノは実に上機嫌だった。ネクタイを緩めながら、細めた目で俺を見下ろす。櫛のあとを残して、後ろへきれいに撫で付けられていた前髪が、一房だけ、額にかかっていた。
「本当に、おめでとう、スイ」
「さっき聞いた……」
「何べん言っても足りねぇよ。団長として、教育係として、このときほど嬉しいことはねぇんだ。お前もそのうちわかるだろうけど」
「すぐ辞めるかもよ」
「辞めんなよ。お前がいないとつまんねぇよ」
「からかう相手がいなくなるからだろ」当たり。悪びれもせずに言って、クノはそれから、今後のことを簡潔に説明した。デビューは今週の土曜。それまでの三日間は完全に休暇。祝い金は明日朝イチで口座に振り込まれる。質問は?
「……いっこだけ」
「なに」
「見習いじゃなくなるってことは、クノの実技指導もなくなるってことで、……つまり、俺はもうクノとセックスできないってこと?」
「いや、お前、この状況でやらないとか、ありえねぇから」と、俺の腰をちょっと掬いあげるようにして、クノが腰を揺らした。おどけた顔。
「……あぁ、じゃあ、よかった」
「なにが」
「デビューできることも、これからもアンタとフツーにセックスできるらしいってことも」よかった。
「……スイ。お前ンなかわいいこと言って俺を煽ると、折角の休暇、寝て過ごすことになるぜ」