ONE DAY 01

肖 -AYAKA age 21-

「なぁ、お前マジで昼飯食いに行かねぇの? 行こうぜ。なぁ、肖ァ、」

 腹の中で暴れていた熱が退いてすぐ、1分も経たないうちに、癇に障る能天気な声が降ってきた。枕にうつぶせていた顔を声の方に向ける。ベッドの端には、まだ素っ裸のスイの背中があった。

 ごそごそと後始末をやっているおっさんの背中を背景に、俺は自分の体の下に敷いていた両腕を、一度ベッドの上に伸ばしてから、くの字に曲げた。眼前に見える俺の手首は、兵児帯で一つに纏められている。短いため息をついて、俺はスイのつくった緩い蝶結びを、唇で挟んで解いた。汗に湿った肌が外気に触れてすうすうする。その下に嵌めっぱなしだった金ぴかの腕時計を覗くと、時刻はすでに16時近かった。

「こんな時間から飯なんて食ってたら仕事に障るだろ。……ったく、さっさと終わらせろっつったのに……」

 俺の仕事は男娼だ。しかも、可憐で麗しいこの容姿のおかげで、二十歳を超えても圧倒的にウケの需要の方が高い。後の仕事のことを気にするなら、こんな時間までプライベートでヤってる時点ですでに問題ではあるのだ。ベッドになだれ込んだときには、まだ14時にもなってなかったはずなのに。まったく俺はアホだ。何やってんだ。

 見るともなしにシーツに視線を落とす。そこに乱れて広がる黒髪は、紛うことなき俺の髪だ。そんなことはわかっているのに、見ているとだんだん、それがホラー映画なんかに出てくる幽霊の髪に思えてきて、ぞっとする。

「おばけみてぇ」いつの間にかこちらを振り返っていたスイも、そう言ってきた。同じものを見て同じことを考えていたなんて最悪だ。眉間に皺を寄せてスイを見返す。

「俺がこんな髪になったのは、元はと言えばお前のせいじゃねぇか」

「なんでだよ。俺はただ、いつまでも見た目の男らしさになんかこだわってたら伸びる売上も伸びねぇぞ、って有難い忠告をしてやっただけだろ。髪伸ばせだなんてひとっ言も言ってねぇっつの」

「屁理屈こねんな」

「どっちがだよ」

 俺はベッドの上に体を起こして、乱れ髪を手櫛で梳いた。指に1本だけ絡んできた抜け毛を、逆の指で摘んで引き抜く。

 二年前まで、ザ・サーカスでも1、2を争うほど短かった俺の髪は、今では切り揃えた毛先のラインが肩よりも下にきていた。長髪の自分にはもう慣れたが、抜け毛の長さにはまだ慣れない。根元から抜けた毛は、何度見てみても、自分で思っている長さの倍ほどもあるように感じる。俺よりも髪の長い静兄ならば、この感覚がわかるだろうか。

「つうかさ、お前の今日の一番乗り、カンちゃんじゃなかった?」スイはこっちにおしぼりを投げて寄越しながら訊いた。俺はそれで、遠慮なく股を開いて汚れを拭いながら、「だったらなに」とぞんざいな返事をする。スイが「カンちゃん」となれなれしく呼ぶ上客のフルネームは、カンジ・レハー氏。御年68歳。世界的に有名な指揮者だ。

「だったら今からでもメシいけんじゃん。知ってる? あの人、実は粗相させたがりなんだぜ。俺だったら、わざと腹いっぱい食っとくけどなぁ」スイは下品な顔で笑いながら、シャツに袖を通した。

「マジかよ、初耳なんですけど」

「俺も最初に性癖バラされたときは退いたけどさ」

「けど、まぁ、俺はどっちにしろ、特殊プレイは全部NGだから」

 うちの店では、SMやスカトロなど、いわゆる変態プレイに分類される行為については、団員側からの申請でそれぞれ三段階の規制ができるようになっている。『応相談』『条件付きで可』『不可』というのがその内訳だ。ちなみに『不可』を申告している団員に対して、該当のプレイを持ちかけたり、又は強要した場合、その客は規約違反となり、会員権の永久剥奪と罰金が課せられることになっている。

「まーだ全NGにしてんの、お前。もったいねぇなぁ。ほら、ちょっと想像してみろよ……目の前には乱れた襦袢姿も艶かしいさらさらの黒髪のお姫様が、いかにも世間知らずで気の強そうな目をして、上目づかいに睨んでくる……どう? いじめてやりたくなるだろ? 手足の自由を奪って、死ぬほど恥ずかしい目にあわせて、顔真っ赤にして泣きながら許しを乞うとこなんて、見たくなんない?」

「なんねぇよ変態野郎。つうかお前、最近やたら縛りたがると思ったら、やっぱ裏があったんだな」

 帯で結ばれた痕が、まだ薄く残っている手首をさする。つまりスイは、こうやって少しずつ俺を馴らして、そのうち変態プレイも解禁させるつもりなのだ。

「バレちゃった?」とスイは、うんざりするような軽い調子で舌を出す。「だってさぁ、俺もそろそろ引退とか考えなきゃなんない年だし、そしたらやっぱ、一番の愛弟子にはできるだけ良い客を譲ってやりたいって思うわけよ。でも俺の客、だいたい変態だからさ」

「そんな客いらねぇよ」

 そういえばレハー氏も、元々はスイの客だった。というか、本当は今でもスイにご執心なのだ。俺の所に来るのは、スイが最近では気まぐれにしか店に出ず、予約が非常に取りにくいため。プラス、スイの弟子のようなものである俺を抱いて、親子丼気分を味わって楽しんでいるらしい節もある。決して、俺個人を気に入って通ってくるわけじゃない。今の俺はあくまで予備だ。この俺が、こんなクソエロジジイの予備!

 よっこらしょ、なんて声を出して立ち上がり、派手なプリントシャツを羽織ったばかりの背中を睨めつける。苛々がどんどん募ってきて、無言でベッド脇のケツを蹴っとばした。

「ってぇえ! じゃじゃ馬ちゃんが後ろ足で蹴ったぁ!」

「るせぇ。さっさと出てかねぇと次はケツにその後ろ足突っ込むからなクソジジイ」

「ひどいぃいいっ、もう遊んでやんないからっ」顔を手で覆って、泣きまねをしながらスイは部屋を出て行く。

「こっちからお断りだバーカ」子供じみた暴言で応じながら、そういや昨日も同じせりふで同じ相手を見送ったなと思い出した。

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