06

Laugh and be fat.

 廊下に出て、向かいの部屋の呼び鈴を押す。「はい」と、しゃっきりした声が中から聞こえて、扉が開いた。現れたスズは、ロビーで見た盛装とは違う服に着替えていた。髪の色と似た濃茶のベストに、チェックのトラウザーズは仕立ての軽いウール製で、真面目な学生のようだ。ロビーで見たときとは、あまりに雰囲気が違っていて、笑ったときの緑の目の形を見るまで、アヤカは、目の前のスズと、記憶の中のスズを、きれいに重ねられなかった。

「もう起きて大丈夫なの?」スズはわずかに背を屈めて、アヤカの顔を覗き込んだ。左の顎のあたりが、うっすらと赤くなっている。たぶんそこが、さっきロビーで、肘を当ててしまった場所だ。

「俺なら全然大丈夫。あのさ、おまえの部屋に砂糖ある?」アヤカは、言った。

「砂糖? うん、あるけど……あ、どうぞ、入って」

 招き入れられたスズの部屋には、背の高い、鉢植の観葉植物がいくつも置かれていた。カーペットや家具も、落ち着いた茶や緑で揃えられ、室内なのに、森の中みたいな印象がある。

「緑が好きなのか?」一際背の高い、ジャスミンのわしゃわしゃした枝振りを見上げて、アヤカは訊いた。

「うん。そんな風に、葉っぱのたくさんついた木を見上げるのが、好きなんだ。砂糖って、角砂糖でもいい?」リビングの端の、椅子のないバーカウンターのような簡易キッチンから、スズは訊く。

「うん、何でも」答えて、アヤカもそちらへ行った。背後の飾り棚には、アンティークらしい、美しい茶器の数々と、幾種類もの茶葉の缶が並べられている。アヤカは紅茶茶碗を1客借りて、濃い砂糖水をつくり、それをスズに差し出した。「これ、顔に塗って」

「砂糖水、だよね」

「うんと濃いやつ。しっかり塗れば、痣にならないんだ」

「そうなの? ありがとう」スズは素直に礼を言って、砂糖水を布巾に浸し、顎に塗りつける。

「もっといっぱい塗って、死ぬほど」アヤカの言葉に頷いたスズは、カウンターの真ん中辺りの天板を、横にずらした。その下には、きれいに磨かれたシンクがある。彼はそこに顎を突き出すようにして、カップの底で溶けきれずにどろっとしている砂糖を指先に直接取って、塗り込みはじめる。

 この高級娼館の2番人気というだけあって、このスズという少年は、何か、凄みのようなものを具えた、色っぽい容貌をしている。だが、実際に面と向かって喋ってみると、その大人っぽい外見よりは幾分、幼い印象を受けた。自分を殴り飛ばした相手を簡単に部屋に入れてしまうところも、いかにも眉唾物の民間療法を何のためらいもなく試してしまえるところも、素直すぎて、ちょっと心配になるほどだ。

「ちょっとは疑えよ」思わず出た、アヤカの呟きに対しても、「えっ、嘘なの!」と、思いっきりショックを受けている。アヤカはこらえきれずに息を洩らした。「全くの嘘じゃない。俺は過去に2回試して、1回はほんとに効いたけど、もう1回はフツーに痣になった」

「そっか。でも5割って結構いい確率だよね。試す価値あり」スズは、効け〜効くんだ〜と呪文をかけながら、砂糖水を塗り込み続ける。冗談みたいな光景だったが、彼が真剣な顔でバカをやるのも、男娼にとって、顔が重要な商売道具だからだ。そのことに思い至って、アヤカは、流しに向かったスズの、すぐ真横に立った。

「あ、やり方、これで合ってる?」気づいたスズは、顎をべとべとにして、無邪気な顔でアヤカの方を向く。

「さっき、殴って、ごめん」アヤカは、目を瞑って、大きく、頭を下げた。「ひどいことも、言ったよな。本当に、ごめんなさい」

 スズは、愕いた様子で大きくした目を、すぐに、猫のように細めた。「ううん、気にしないで。こっちこそ、ごめんね。俺、さっきちょっと、ぼーっとしてて、」

「え?」アヤカは顔を上げた。

「いや、本当ならあのくらい、避けられたはずだし、当たったにしたってあんな吹っ飛んだり……、……あ、」スズの目線は、アヤカの足もと辺りに向けられていた。何かと思って下を向くと、ふくらはぎの内側を、ぬめった粘液が伝い下りてくるところだった。さっきスイが、中に注いだローションだろう。とりあえず、指で流れを塞き止める。その中に血の筋がごく細く混じっているのに気付いて、少し背中がぞっとなった。

「ごめん、何か拭くもの……床が汚れる」

 すぐにタオルを持ってきたスズは、さっとアヤカに背を向けて、紅茶茶碗を持ったまま、寝室の鏡台の方へ行ってしまった。どうやら、気をつかってくれているらしい。アヤカはその場でガウンの裾をまくりあげて、垂れてきたローションを拭った。

「あの、違ってたら悪いんだけど、もしかして、スイと……?」背中でスズが訊く。

「あ、うん。明日、《毒蛇》に、入団のお願いに行くことになった」

「やっぱり! そっか、よかったね。俺も嬉しい。仲間が増えるの」

「いや、雇ってもらえるか、まだ、解らないから……」

「ううん、スイがその気なら、クノさんに伺いたてなくたって、もう、入団したようなものだよ」

「あいつに、そんな権力あんの?」アヤカは、タオルの汚れた部分が見えないように丸めてから、スズの方に顔を向けた。「ごめん、タオル、後で洗って返す」

「ありがとう。お願いします」スズは体ごと振り返って、にっこりした。「スイ、若いし、格好とかあんな風だけど、副団長だから。新しい団員を採用する権限も持ってるんだ」

「見えねぇ……つぅか、そうならそうと最初から言えよな……。あ、クノさん、っていうのが、《毒蛇》の本名?」

「そう。団員はだいたいみんな、クノさんって呼んでる。店のことで何か、解らないこととか、スイに訊きづらいこととかあったら、何でも言ってね。俺はここ、もう12年目だから、大抵のことには答えられると思う」

「12……年目、って、……おまえ、何歳なの?」アヤカは、目の前の少年の顔を凝視して、言った。

 スズは確かに、外見だけは、大人っぽい。というか、言い方が下品かもしれないが、使い込まれて研き抜かれた大業物、みたいな妖しさが、無邪気な顔をしていても、何となく透けて見えている。とはいえ、肌や骨格を見れば、彼がまだ十代であることは明白だった。十年以上この仕事をしているだなんて、どう考えても計算が合わない。

「12歳。俺、ここで生まれたから」スズは答えた。鏡台の抽斗の中から、真新しい、チューブ入りの軟膏を取り出して、「これ、怪我によく効くから、あげる」と、アヤカの手に渡す。「ありがと……って、……ちょっと待って。おまえ、え、12歳って、12歳? 生まれてから12年ってこと?」

「うん。生まれてから12年の、12歳だよ」スズは息をこぼして笑った。「店では、16歳ってことになってるけど」

「いや、嘘だろ……、だって、背とか、声も……」

 スズの身長は、並べてみないと判らないが、印象的には、スイとそんなに変わらないように思える。少なくとも、170センチは余裕で超えているだろう。声変わりもすでに終えているようだ。それに何より、彼の持っている落ち着いた雰囲気や、色気は、12歳の少年とは程遠い。遠すぎる。

 しかし、アヤカから見れば、目新しく、異様なことでも、当人にとっては、「幼児の頃から、すっごく成長が早くて」の一言で片付くことらしい。もちろん、それはそうだろう。生まれたときからそうであるなら、ただ、そうだというだけのことで、そこには、異常も正常もない。

「そういえば、まだ名前も聞いてなかったね。俺は、スズ。これから、よろしくね」スズは、砂糖水でべとべとになった手を前に出しかけてから、気づいて、流しに走った。きれいに洗って、改めて、アヤカの前に、その手を差し出す。

「あ、うん、よろしく。俺は、アヤカ。14歳」アヤカも手を出しかけて、それが股を拭った手だと気づいて、スズと同じように、流しに走った。いそいそと洗ってから、スズの手を握る。目を合わせて、二人で噴き出した。

「14なら、綾(りん)と同い年だね。綾って、わかる?」

「お前に謝れって怒ってた……変わった目の色してる奴、だよな」

「そう。綾って、いつもはあんな風に怒ったりしないんだよ。だから俺、さっき実はちょっと、嬉しかった」綾が普段はどういう人物なのか、アヤカは知らないので、「ふぅん」と曖昧な相槌しか打てなかった。納得できないが、自分の行動が、綾の今夜の仕事をキャンセルさせる原因になったというのだから、彼にも、謝罪するべきなのだろう。「あいつにも、謝った方が、いいよな……」全く気は進まなかったが、声に出すことで、アヤカはそうする決心をつけようとした。アヤカを見るスズの目が、ふっと遠く、眩しそうになる。

「たぶん、明日の朝は、クノさんと一緒に、食堂に来るよ」


     ◆


 スイの部屋に戻ると、「おかえり」と当たり前のように言われて、胸が、クワッと熱くなった。

 おかえり、なんて、もう二度と、誰にも言ってもらえないと思っていた。アヤカは、こみ上げるものを押し込めようと、喉に力を入れる。寝室の奥の、テラスへ続く硝子扉を半分開いて、スイは煙草を吸っていた。エメラルドグリーンの、派手な絹のガウンが、曲げた腕に合わせて、優美な線を描いている。

「ただいま」アヤカは返して、そのまま真っ直ぐに、ベッドに上がった。スイに背中を向けて座ると、ガウンをバッと脱いで、股を覗き込む。

「何してんだ」後ろから声が飛んできた。

「微妙に血が出てるっぽい」アヤカはそう言って、スズにもらった軟膏を載せた指を、後ろに潜らせた。そうして、挑発的な笑みを浮かべて、スイを振り返る。「だからさ、優しくしてな」

「お前さぁ……、マジもんの阿呆だろ」煙を吸って、スイが笑う。

「アホじゃねぇよ。俺は頭いい」

「そんで、家柄もいいんだろ?」

 硝子扉を閉めて、スイが寝台の方へやってくる。ナイトテーブルの上にある、小さな灰皿で煙草をねじ消すと、その横の、香水の壜のようなものを取り上げた。「次はこっちも塗りな」と、その美しい壜を、アヤカの手に握らせる。

「なに、これ」

「俺が新人育てるときの方針」

「……どういう意味?」

 スイはアヤカに、いやらしい顔で微笑みかけ、自分のガウンの紐を解いた。


     ◆


 アヤカは、頬をえらの辺りまで朱色に染めて、酒に酔ったような目で空を見つめ、だらしなく四肢を投げ出していた。どろどろに濡れた胸が、せわしなく上下する。髪の生え際から足の指の股まで、丹念に愛撫され、舐め尽くされ、もう何度いかされたか分からない。スイの舌の触れていない部分など、すでにアヤカの体のどこにもなかった。

「入れるぞ」仰向けの腰の下に枕のようなものをあてがわれ、大きく開かされた脚の谷間で、物欲しげな口が期待に蠢いたのが、自分で解る。アヤカは、目線をスイに向けて、首肯した。アヤカの上がった腰をさらに抱えて、スイが、自らの先の部分を押し込んでくる。「……ッ、……う、……ぅう……っ」

 見あげる視界の中、スイの顔は、ずいぶん遠くにあった。そのことが急に不安になって、アヤカはスイの方に、手を伸ばした。すぐに気付いて握ってくれたスイのてのひらが、熱い。

「ん、……く、……ぅ、」下から押し上げてくる苦しさが、指のときとは、全然違った。それこそ、杭を打ち込まれて処刑される、吸血鬼にでもなったみたいだ。下腹が、熱くて、きつくて、固くて、痛い。本能の部分で、逃げ出しそうになるアヤカの体を、スイの手が、繋ぎとめていた。

「口開けて、はーって息しろ。はー」

「……はっ、……はーっ、ぁ、はーっ、はーっ、」

 押し入ってくる固さはたしかに痛いのに、アヤカのペニスはかたく反り返ったまま、限界の一歩手前で脈打っている。痛みどころではなかった。頭が、初めてのセックスにやられてしまったみたいだ。昂奮しすぎて、脳内麻薬が出まくって、痛いのか気持ちいいのかも判らなくなっている。オナニーをしすぎるとバカになると言っていた同級生がいたが、アヤカはその意味が解ったような気がした。

「も……、はいっ……た……? スイ、……な、ぜんぶ、……」

「まだ。ほら、はーってしろって」

「あ、はー、……はーっ、はー、は、ァあぁ!」

「はい、ここまで」授業終わりの先生みたいな口調で、スイはそう告げた。握った手に、アヤカが力を込めると、同じくらいの力で握り返してくれる。いま、スイを、余すところなく飲み込んでいる。アヤカはごくりと喉を鳴らせた。腹の奥から、熱い震えがとめどなくわいてくる。

「おれ……、どう……?」

「まだどうもこうもねぇよ。でも安心しな。俺がちゃんと一人前にしてやるから」

「……な、……スイ、おれ、おねがいが……、」

「うん?」

 アヤカは、うるんだ瞳で、じっとスイを見つめた。

「これおわったら、何か、食わせて……」

 スイは破顔した。彼が笑うのに合わせて、繋がった体が揺れて、痛くて仕方なかったが、アヤカは、そう悪くない気分で、スイの手をさらに握り込んだ。

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