きみはともだち

「なぁ、まだ決まんねぇの? 俺もう飽きた」肖(あやか)はそう言って、背の高い書棚に挟まれた通路に、へなへなとしゃがみ込んだ。

「人迷惑だからせめてちゃんと立っとけよ」綾(りん)は、居並ぶ古書の背をチェックするのに忙しい目を、ほんの一瞬だけ傍らの友人に向ける。

「迷惑って、この店、俺ら以外誰もいねーし」そこから見たって店内すべてを見渡すことはできないのに、肖は、頸を巡らせながら、そう言い切った。

「おまえ、家柄いいって嘘だろ」頭より高い位置にある本を引き出し、中身を確認しながら、ついでのように綾は言った。肖はしゃがんだ位置から、斜め前に立つ綾を仰ぐ。「アァ、何だって?」

「だからその口調。貴族のおぼっちゃんがそんな口のききかたするか、普通」

「あー、これはあれだ、学校で流行ってて……」

「汚い言葉遣いが?」

「汚いってほどじゃねぇだろ。同世代の庶民ぽい喋りってのが、学校で流行ってたの。そのなごりつーか、癖っつーか」

「理解不能。家柄いい金持ちなら金持ちらしく喋りゃあいいだろうに」

「学校ってそういうもんなんだよ。変な流行にも乗っとかねぇと、クラスでの立場が面倒になるっていうかさぁ……」

「わけわかんねぇとこだな、学校って」綾は言い捨てて、店のさらに奥の、薄暗い書棚の通路に入っていった。後姿は、棚の陰になってすぐに見えなくなる。

「あと30分したら呼びにくるからな!」肖は声を張った。

「諒解」太く響く声が、奥の方から返ってくる。肖は膝に手を置いて立ち上がると、一人で、その古書店を出た。

 同じ通りの、すぐ近くにあるカフェに入って、通りに面した席に落ち着く。はつらつとした愛想のいい男の店員が、メニューを持って飛んできた。飲み物のページを開く。フレッシュジュースが売りの店らしく、見開きのほとんどが色んな果物のジュースの名前で占領されていた。

「あ、パイナップルジュースあるんだ」ひとりごとのつもりで呟いた言葉に、「はい! お好きですか、パイナップル」と前のめりの返事が来たので、肖は内心びっくりした。

「ええ、大好物です」平静を装って店員を見上げ、微笑んでみせる。ボンッと、音がしそうなほどの鮮やかさで、店員の頬が真っ赤になった。しばらくして運ばれてきたパイナップルジュースは、ほかに頼んでいる客がいなかったので正確な判断はつかないが、しかしどう見ても、豪華版だった。ジュースのほかに、一口大にカットされたパイナップルのボウルまで出てくる。

「それ、サービスなんで、よかったら」店員は、ほかの客には内緒だということを暗に伝えたいのか、少し背中を丸めて、声を低くした。

 ジュースがパイナップルなんだから、サービスの果物は別のモンにしろよ、気が利かねぇな。肖は内心で毒づきながらも、「ありがとう」と極上の笑みをつくった。店員は、ほっぺたをつやつやさせて「どうぞ、ごゆっくり」と頭を下げ、名残惜しそうに店内に戻っていく。

 何てことだろう。肖は、硝子窓に映った自分の顔をちらりとだけ横目で見て、ため息を吐いた。そこに映りこんでいるのは、どう見ても、女。それも、母親の若い頃に生き写しの、美しい少女である。茶色いふわふわのヘアウィッグを着け、イチカに綺麗に化粧をしてもらい、一番サイズの近かった和の私服を借りて、ようやく、肖は昼間の自由な外出を許された。

 肖が、移動娼館ザ・サーカスで暮らすようになって、もう、半年が経とうとしている。半年振りの世間に、女装して出てくることになろうとは。太いストローを銜え、甘酸っぱい汁を吸って、肖は、ふぅ、と息を吐いた。ストローに残った口紅の跡を、薔薇色の爪のついた指先で拭う。

 アヤカ・ロデムの生存。それがもし、ある筋に知られれば、ザ・サーカスや、肖自身にも、かなり面倒かつ危険なことが起こる可能性がある。それを回避するための女装なのだ。仕方がない。肖は脚を絡み合わせるようにして組んだ。膝下丈のスカートを履いているのだが、外気に触れる下半身が心もとなくて、何となく、気分がそわそわしてしまう。

 それにしたって、自分の顔がかわいいことは、よくよくわかっているつもりだったが、化粧してもそれが有効だとは思わなかった。毎日のように男に抱かれているせいで、何かホルモン的なものが分泌されて、勝手に体ごと女っぽくなってるんだろうか。ありえない。こみあげた笑いを、肖は鼻で散らした。そんなわけがない。ただ単に、背が低く、骨格が華奢なせいで、女装が似合うってだけだ。

「つーか俺ヤバい、もーぜってー数学終わったぁー」

 その年頃特有の、耳に突き刺さるようなでっかい声がして、肖は、目を左の方に向けた。高校生くらいの男子のグループが、だるそうな足取りで、カフェの前の通りをたらたらと歩いてくる。

「数学もだけど、物理ヤバくなかった? 問題文の意味がすでに意味不明」

「終わったことは忘れろって。そんなことより明日の古文がこえぇ……」

「あー古文、こないだウチのクラス酷すぎたよな、平均点が赤点って」

「でもその分、今回は問題緩くなんじゃねぇの? 俺聞いたけど、特進クラスに、古文のテストの難易度が異常だって学校に苦情出した親いるらしーよ」

「マジで? モンスターつえー」

「それでテスト簡単になるなら、むしろモンスターさまさまだけどな」

 肖は、彼らからすぐに目を外したのだが、それでも、左から右へ通りすぎてゆく少年たちの会話をシャットアウトすることはできなかった。肖も、よく知っている世界の、会話。半年前まで、肖が当たり前に暮らしていた世界で生きる、同世代の若者たちの、会話だった。それがちりちりと、神経に嫌な触り方をする。

 感傷的になりそうな心にコルクをねじ込んで、肖はもう一度、顔を上げた。薄青い、揃いのシャツの背中が遠ざかる。誰一人として、きれいに着てはいないが、それぞれの体型に合った制服は、生地も仕立ても、それなりのものだ。きっとこの辺りでは名のある、私立高校のものだろう。

 自分が、あちら側に戻れないことなど、肖はちゃんと、わかっている。わかりきったことだ。覚悟なんてするまでもなく、それはもう、ただ、そうなってしまったこと。年齢制限のせいでいまだに見習いの身分だが、次の誕生日に正団員としてデビューすることは、すでに決まっている。最初の客もそうだ。団長のクノから、《肖》という源氏名ももらった。

 もう、自分は、伯爵家の嫡男、アヤカ・ロデムではない。

 ザ・サーカスの団員、肖なのだ。

「それなに?」綾が近づいてきて、顎で机上のグラスを示した。

「あれ、早かったな」肖は、ジュースのグラスを綾の方にずらす。隣の椅子に座りながらひと口飲んだ綾は、「お、結構うまい」と呟き、もうひと口、遠慮のない量を吸い上げた。

「おまえがいなくなったら、探してた本すぐ見つかってさ」そう言う割に、綾は手ぶらだ。たぶん、たくさん買った本は、すべて店まで配達してもらうことにしたのだろう。

「あっそ」肖は頬杖をついて、グラスを取り返す。「っとに、どうやったらそんな嫌味ばっか出てくる口になるのかね」

「なにこれ、ひとりパイナップル祭り?」肖の小言は聞き流して、綾はボウルのパイナップルをひとつ、勝手に摘んだ。

「それはサービスで店員が持ってきたやつ」

「やーらしーい」綾は肖の全身を視線でなぞって、口の端を吊り上げた。

「なにがやらしいんだよ。つーか勝手に食うな」

「いーだろ、俺は今日休みだし。食えるもんなら何でも食いたい気分」

「それ、仕事ない日のスイもよく言ってる」

 綾は面白くなさそうな顔になったが、店員がやってくると、板についたしなをつくってさんざん相手を喜ばせてから、バニラのアイスクリームを注文した。出てきたのは、たくさんのフルーツや薔薇の砂糖漬けに飾られた、2人分の、豪勢なデザートの皿だった。


     ◆


 店に帰り着いたのは、午後3時過ぎだった。ロビーで綾と別れた肖は、部屋で男に戻ってから、彼が勉強を教えている団員たちの部屋を巡回した。必要があれば指導し、宿題を回収して、新しい課題を与える。その中には、見習いや準団員だけでなく、正団員もいた。クノが言っていた通り、読み書きや、2桁の引き算も覚束ない団員もいる。先生役というのも、なかなかハードな仕事だった。

 ようやく自分の部屋に戻れたのは、午後5時半。そこから、宿題の採点と、各団員ごとの、今後の学習計画を練る。それが終わってからが、ようやく肖自身の勉強の時間だった。

 男娼という仕事に全く役に立たないものだとしても、せめて、高校卒業程度の学力は身に着けておきたい。肖が、忙しい中でも勉強を続けているのは、その意地のためだけではなかった。いつか、復学したときのため、という、ほんの小さな希望が、彼の胸の内にはある。

 今は無理でも、いつかまた、堂々とロデム姓を名乗ることができる時代が来れば。失った爵位を取り戻したいわけじゃない。だけど、アキラ・ロデムとマイア・ロデムの子供である、アヤカ・ロデムとして、いつかは、堂々と生きていきたい。可能性は、まだ、完全に潰えたわけではないはずだ。

 7時近くなってから、肖は、いったん勉強を切り上げ、浴室に入った。本来なら、見習い団員は、店に出て、給仕や受付の仕事をしている頃だが、肖は、基本的に、それを許されていない。ザ・サーカスの顧客の中には、軍や、政府関係者も多くいる。そういった人間の前に姿を晒すことは、今はまだ、危険だという判断だ。

 肖の父、ロデム博士は、母と共に、死ぬことを選んだ。もし、それ以外の道があったならば、それがどんなに険しい山道でも、獣道でも、ふたりはきっと、生きることを選んだだろう。しかし、彼らの目の前にはただ一つ、死出の道しか残されていなかった。だからその道を歩いていった。

 ふたりをそこへ追い込んだのは、この国の軍部か、政府か、それとも時の王か。それは肖にはわからない。罪を犯したという、博士の言葉の意味も、今はわからなかった。真相を知りたくないわけではないが、それを知ることに意味があるとは思えなかった。怖い、というのもあるし、知っても知らなくても、もう、どうしようもないのだ、という思いが、強い。

 両親が生きていた頃には、どうしたって、帰れないのだから。

 髪を濡らさぬようにシャワーを浴びる。訓練前のシャワーなのだから、ただ体の表面を洗うだけではいけない。教わった通りの手順で、体の内側を整えて、緩めておく必要があった。

「…………ッ、……」汚れた湯が流れていく。その音を聞き、水の流れを見つめていると、たまらない気持ちになることが、まだ、ある。何でもないことだ。自分で選んだことじゃないか。そう、言い聞かせてみても、やっぱり、自分は何をしてるんだと、涙が染み出してきたりする。

「くそ……っ、」シャワーの湯に打たれるまま、肖は、その場にうずくまった。つらくて、立っているのもしんどくて、倒れそうで、膝が折れたのに、次の瞬間には、しまった、髪を濡らしてしまった、乾かして整える時間がかかるから早くシャワーを切り上げなければ、と、そんなことを考えている。いつだって、肖の頭には、冷静な部分がちゃんとある。両親が目の前で死んだときだって、次にどう動くべきか、計算していた頭だ。非情で、でも、頼りになる、親譲りの、出来のいい頭。

 肖は立ち上がり、シャワーの湯を止めた。体を拭き、ガウンを纏って、髪を乾かす。スイとの約束の時間まで、あと15分あった。ぐずぐずした気分を変えようと、缶ビールを開けてひと口煽る。天井を見上げて、もっと、高い空が欲しくなって、肖は缶を片手に、屋上へ出ることにした。


     ◆


 屋上の端には、日よけのある、ゆったりとした長椅子と低いテーブルのセットが置いてある。日はもう落ちていたが、空にはまだ、昼の気配が微かに居残っている。肖は長椅子にひとりで座って、一気に半分ほどまで、ビールを流し込んだ。

 アルコールにまだ慣れていない脳が、すぐにふよふよと酔いだして、肖を楽しいような、憂鬱のような、変な気分に誘う。正団員としてデビューすれば、こんな風に、夜空をぼけっと眺めていられるような時間は、貴重なものになるのかもしれない。街の灯でかすんだ、ろくに星も見えない、きれいでも何でもない宵の空だけど。

 屋上の扉が開く音がした。肖はそちらに目を遣らずに、黙ってちびりちびり缶を傾けていたが、相手が近づいてくるのは、気配でわかった。さらに何歩か近づいてくるうちに、その特徴的な髪の色が視界の端に入ってきて、相手が綾だとわかる。

「おまえ、夜から訓練つってなかった?」芯の太い声が、そう言った。

「まだちょっと時間あるから」肖は缶を置いて答える。綾の目がそれを追った。「やる前に飲むなよ」

「こんなの、飲んだうちに入らない」

 その返事に軽く眉を寄せて、綾は、肖と同じ長椅子の端に腰を下ろした。

「…………そんなに嫌なら、やめたら?」

「……は?」

「泣いてるの、気づいてない?」

 肖は、まさかと思って、自分の頬に触れてみた。指先に、濡れた感触がある。慌てて、てのひらで顔を拭いた。綾はその間、昼のカフェでそうしたように、肖の飲み残しの缶に口をつけた。

「セックス売りが嫌なら、やめりゃいいんだ。おまえは、無理にうちで正団員なんてする必要のない身分なんだから」綾は言った。肖はすぐに、返事ができなかった。綾の言っていることは、正論だ。

「女装までしてやっと外出許可は出たけど、それってつまりまだ、身を隠しとく方が安全ってことだろ。おまえにとってもだけど、この店にとってもさ。正団員になんてなってくれない方が、有難いんだけどね、正直」

「……それは……、でも、安全な客を、選んでもらうから、……だから、……」

「そうやって周りに気ぃ遣わせてさ、本人もこんな泣くほどうじうじ悩んでて、そこまでして仕事する意味あんのかって言ってんの。だいたい、今日、俺がおまえと一緒に行動してたのだって、何かあったらおまえを守らなきゃいけないから、」

「わかってるよ……!」肖は控えめに怒鳴って、奥歯を噛んだ。それが一番、指摘されると痛いところだった。アキラ・ロデム博士の息子が、表に出るとなると、彼を匿っているこの店や、団員たちにも、リスクを背負わせることになる。それをわかっていて、それでも正団員になろうとしているくせに、男娼としての自分を嫌悪する、もうひとりの自分もいるのだ。

「別に、無理にやらなくてもいいことなんだからさ、つらいんなら、やめとけよ。いっぺん仕事始めてからすぐ辞めるとかになったら、もっと迷惑だから」そう言って綾は、また勝手に、肖の缶ビールを呷った。

「そんな、つらそうに見えてるのか、俺……」呟いた肖を横目に見て、綾は空にした缶を、手の中で潰した。「見えてるっていうか、結局おまえは見せたいんだろ、《不幸でかわいそうな俺》をさ」

 肖はグッと喉の奥を締めて、真一文字に脣を結んだ。そんなことない、という思いと、そうかもしれない、という反省が、体の奥から鼻の方にツンと抜けてゆく。何も、言葉が出てこなかった。言葉も、言葉以前の考えも、何も、浮かばなかった。ただ、自分を恥じるような、そんな苦味だけが、肖の口の中にある。

「……もう時間だから、」肖はそれだけを、声が震えないように気をつけて言い、綾の潰した空き缶を手に、長椅子を立った。

「――――あ……、あのさ、」

 苛立ったような声での呼び掛けに、肖は立ち止まった。じわりと振り返ると、こちらを見ていた綾が、視線をちょっと逸らした。眉の上をしきりに指で撫でるような、落ち着かない仕種をして、口を開く。

「俺は、さ……、その……、自分に、親がいたのかどうかさえ、知らないし、子供の頃の記憶だって、ほとんどないんだけど……、でも、そういう記憶。親に、抱きしめてもらったり、何かそういう、無条件に愛されて、幸せだった頃の記憶、みたいなのを持ってる奴からしたら、さ……、うちみたいな場所で、体売って暮らしてくのって、……結構、つらいことなんだろうなって……、それくらいの想像力は、……まぁ、あるつもり」

 綾の言葉に、肖は目を大きくして、相手を見た。黙ったまま、ひとつ、頷く。綾はちらりと目を上げて、小さく頷き返した。

「だから、おまえからしたら、まともな仕事じゃないかもしれないけど、……てか、娼妓って職種から言っても、ザ・サーカスの正団員のしてることは、ちょっと、特殊だと思うんだけど、……でも、……だからこそさ、俺たちは、金をいっぱい稼げるんだ。それって、……救い、だよ」

「え……?」

「金がいっぱい稼げるってこと。俺はほとんど喜捨してるけど、別に自分で全部使ったって、貯めたって、いいんだし。それで、未来の選択肢が、広がると思うんだ。店を辞めたら、色んな生活費もかかるし、学校通ったり、何か商売はじめるのにも、金は必要だろ。だから、大金を稼げるっていうのは、……自分への、言い訳になるんじゃないか、って……」

「…………あのさ、もしかして、なんだけど、」

「うん、」

「おまえ、もしかして最初から、俺のこと、なぐさめようとしてた……?」

 綾は渋い顔になって、今度は視線だけではなく、体ごと横を向いた。ガラじゃないことをしていると、自分でもわかっているようだ。肖の頬に、笑みが滲みだす。

「ありがとな。……うん。…………あのさ、ついでにいっこ、訊きたいこと、あんだけど、」

「いっこだけだからな」照れ隠しの大柄な態度で、綾は腕を組んで、視線を肖に戻した。

「おまえにとって、客と寝るって、どういう感じなの」

「どういうって……仕事だよ。質のいい時間を客に提供して、それに見合う金額を払ってもらう。それだけ。もうずっとやってることだから、行為自体には、慣れてるし」

「慣れ、か……」

「うん。慣れと、金だよ」

「そんなに金って大事?」

「俺には、何より大事。クノさんとの、絆だから」

「金が、絆……?」

「そう思ってる」

「そっか……」肖は、フッと短く息を吹き、頸を反らして、空を見上げた。さっきまでは気づかなかったが、じっと睨んでいると、地上からの灯に汚れた空にも、いくつかの星が見つかった。

「じゃあまぁ、とりあえず、慣れるくらいまで、やってみっかな」肖は上を見たまま、言った。

「おまえって、おぼっちゃまのくせに、度胸据わってるっつーか、根性入ってんな」綾が言った。

「おぼっちゃま、だ、か、ら、だよ」肖は、綾の方に視線を遣って、そう強調した。「俺は他人より恵まれた環境で、いいもん食わしてもらって、いい教育受けさせてもらって、すくすく育ってきたんだ。そこいらの奴らより、俺の方が能力あって当然なんだよ。そうじゃなきゃ、相当のバカだ」

「それ、いいな。俺が頭悪いのの言い訳にもなる」綾は長椅子から立ち上がって、肖のところにやって来た。

「おまえが悪いのは頭じゃなくて底意地だろ」

「そっちに有効な言い訳は何かないの」

「言い訳探す前に性格改めろよ」

 言い合いながら、ふたりは屋上を後にする。いつもより少しだけ暖かな夜が、ザ・サーカスを、すっかり包み込もうとしていた。


(了)

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