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息する限り、希望する

「下着は脱がなくていいから」スイの笑い混じりの言葉に、リリーは小さく頷くと、着ていたシャツとパンツを手早く脱いだ。さっと畳んでソファの上に置く、その仕種は手馴れている。

 現れたリリーの裸体を見たスイは、表情が変わらぬよう、瞬間的に顔面の筋肉を律さねばならなかった。背中や胸に肋骨のかたちがくっきりと浮いた、病的な痩せ方。筋張った腕も痛々しい。

「体重、結構戻ってきてるって聞いたけど、自分の実感としてはどう?」普通の声色を意識してスイは訊く。

「ええと……、元々はもうちょっと……太ってた気も、するんですけど……」自分で、自分の細い腕を、不安げに摩りながら、リリーは言った。「すみません、今まであんまり、体重……とかを、気にしてなくて、よく……」

「ああ、そりゃそうだ。しかもこないだまで絶食治療してたんだったよな、」スイは何でもない顔で微笑み、リリーが脱いだシャツを手渡した。

「はい。それで、食欲をあまり、感じなくなっているらしくて……」俯いて、リリーは手早くシャツを着直した。そうして、腕を軽く組むような格好になる。貧弱な腰回りを隠そうとするように。

「ま、ここで普通に生活してりゃ、嫌でも体重は増えてくると思うから、焦って無理に食いもん詰め込んだりすんじゃねぇぞ。ゆっくりでいいんだから、な、」さりげなく笑って、今度はパンツを渡す。

「……はい。ありがとう、ございます……」

 かなり細身のパンツだが、ベルトをしなければそのままストンと下に落ちてしまいそうだった。そのベルトにも、綾がやったのだろうか、後から空けたらしい穴が、既製のベルト穴からずいぶん離れたところにひとつ、空けてある。

 これより10キロ太っても、まだ痩せ形だろう。綾は、年に1、2度とはいえ、定期的にリリーの様子を自分の目でチェックしていたのだ。彼が、平均的な同世代の少年に比べて痩せすぎていることにも、気づいていたはず。それを問題視しなかった自分を責めたくなる気持ちは、スイにも解る。

「リリー、運動はもうできるんだっけ?」

「はい。大丈夫です」服装をきちんと整えると、リリーは、ホッとしたように微笑んだ。

「うち、運動器具運び入れて、ジムにしてる部屋とかもあるから、後で案内するよ。ちょっとずつでもいいから、筋肉増やして、うまいもん食って、勉強して、裏方の仕事覚えて、それからまぁ、ちょっと実技の様子見させてもらって、デビュー、って流れになるかな。リリーの場合。その頃には彼氏も合流できんだろ」

 スイが最後に付け足した言葉に、リリーはふっと目を上げた。

「……あ……、あの……、ロス、は…………、……」スイの目と目が合うと、リリーは開いていた口をじわりと閉じた。小さく、「すみません、何でもありません」と呟いて、話を終わらせようとする。

「もしかして、彼氏、って言われると抵抗ある?」スイは訊ねた。

「え、……いえ、いいえ、そういう、意味では……」

「じゃあ何か、ロスのことで、不安なことでもあんのか?」リリーは顔を上げかけたが、やっぱり途中で目を伏せてしまった。

「もし、何か引っかかってることがあるんなら、ひとりごとのつもりで、口に出してみな。何か俺に手助けできることがあれば動くし、そうじゃなけりゃ、聞かないふりもできるから」

「……は……、はい、すみません、ありがとうございます。…………その、ロス、は……、ロス……も……、ここで、働くことになるって、聞いてるんですけど、……」

「ああうん、ロスが、そういう約束で、綾の手を借りたって話だろ? それは綾から聞いてるよ」

「…………はい」リリーはそこでどうしてか、ぐっと喉を緊張させるようにして、険しい顔になった。「ロスが、自分で決めたこと、……なの、で……」リリーは、自分に言い聞かせるようにそう言うと、「すみません、やっぱり、何でもありません」と目を伏せた。


     ★


 釈然としない気持ちを持て余して、スイは、綾の部屋を訪れた。自分から彼の部屋にやって来ることは、そうあることではない。何か用事や、伝達事項があっても、肖に伝書鳩役を頼むことの方が多いのだ。

「綾、ちょっといいか、」ノックに続けてそう言うと、いきなり扉が薄く開いて、その間から、アメトリンの目が覗いた。

「なに?」横柄な態度をとっております、と言わんばかりの応対はいつものことだ。気にせずに、スイは「リリーの件」とだけ言って、彼の部屋に足を踏み入れた。舌打ちこそ返ってきたものの、リリーに関することなら我慢が利くと見えて、綾は天敵のスイを部屋から追い出しはしなかった。

「わざわざ俺の部屋に来るようなことがあったんだ?」スイが腰掛けたソファの背に尻を引っ掛けて、半ば振り返る姿勢で綾は訊いた。

「……ロスって、何かワケアリなわけ?」

「はぁ?」綾は相手をバカにした声を出す。「あの町出身ってだけでワケアリだろ」

「そうじゃなくて、……何つーか、リリーが、ちゃんとは話さないんだけど、どうも、ロスがうちで働くことに、不安があるみたいでさ、」

 綾は軽く眉を寄せただけで、黙っている。

「おまえなぁ、…………まぁ、話したくないことなら、別にいいけど」

 腰を上げようとしたスイを、綾は、「せっかちだな、ちょっと待てよ」と乱暴な言葉で引き留めた。

「リリーとロスは番みたいなもんだし、リリーの教育係のアンタにも、話しといた方がいいのかもな」もったいぶってから、綾はようやく本題に移る。 「ロスは、クスリ売りで実績上げて、チームの若手の中じゃ何馬身も差をつけた出世頭だった」

「へぇ、頭が切れるタイプなのか。意外だな」

 じろりとスイの頭を睨めつけてから、綾はソファの背を下りた。

「……けど、裏では、ボスのオンナやらされてた」言いながら、ソファの前に置かれたテーブルの、スイから一番遠い端に、行儀悪く尻を乗せ、脚を組む。

「やらされてた、」綾の言葉の意図を汲み取って、スイは繰り返した。背を向けて座った綾の顔は、耳の裏から頬の曲線が僅かに見える程度だったが、それでも、彼が確かに頷いたのが判った。

 スイは、「ハ、」とひとつ、息を吐いて、胸くその悪さを紛らわす。「頭が切れるんじゃなくて、ケツの穴切って出世したってことか」と、わざと茶化してみせた。

 その下品な冗談に、綾は軽くスイの方へ顔を向けて、小鼻の辺りで不快を表現した。

「確かに、ケツに目をつけられたのが先で、嫌々抱かれてたみたいだけど、それだけじゃない。あいつは、ボスが自分を完全なオンナにするために仕掛けた罠を利用して、自分が金を作れる、組織にとって価値のある人間だってことを、ボスに証明してみせた。見た目や体だけじゃなく、頭も抜群に切れたから、ボスはすっかりロスにハマっちまったんだよ。だからこそ、あいつら連れ出すのに、あんな大騒ぎになった」

「……で、どんなに頭が回っても、嫌々オンナにされてた記憶は簡単に消せないって?」

 綾は目で頷いた。

「リリーが言いたかったのは、そういうことだと思う」

「対策は? そのくらい、考えてんだろ?」

「できるだけタチで客とれるようにしてやろうとは思ってるけど、まだ若いし、チームのボスを夢中にさせたカワイーお顔に、エロいカラダがくっついてんだから、固定はどう考えても無理だ。あんたも見たら判るよ。それに、……」綾はいったん口を噤む。

「それに?」スイはすぐに水を向けた。綾は目にかかる前髪を片手で撥ねて、その手を、組んだ膝の上に投げ出した。

「ロスが、本当にキツい思いすんのは、自分のことじゃない。退院して、ウチに来れば、ますます苦しくなるはずだ」

「……リリー、か」

「あいつ、自分にはリリーを救えなかったとか思ってんだよ。バカだろ? リリーを助けたのは俺で、自分は、リリーをさんざん苦しませた上に、また体売らせてる悪党だ、って。あいつの親や子供通りの連中とやってること一緒だって、思い込んでる。違うって言っても、聞きゃしない」

「そりゃ……」

 違わないだろう。

 ロスだけじゃなく、綾も、俺たちザ・サーカスの大人は全員、そうだ。もしかしたら、自分を売ろうとしているリリー自身だって、悪党のうちかもしれない。

 スイは、開けかけた喉を一度閉じてから、改めて、言おうとしていたこととは全然違うことを、口にした。

「まぁ何にしろ、もちっと太んねぇと話になんねぇな、リリーは。あんな細くちゃあ、壊しそうで訓練もできねぇ」

「アンタなら、雪の結晶扱うみたいに、優しく丁寧にそおっと天国に連れてってやれるだろ。訓練いつまでも始まんないと、あの子、焦って大食いでもして腹壊して、また病院に逆戻りとかしそうだから」綾はそう言って、無意識に唇を噛んだ。

「そういうことなら、……まぁ、了解した。悪いようにはしねぇよ」スイはそう言って立ち上がる。

「当たり前だろ。リリーに何かあったら、今度こそ二度と仕事ができないカラダにしてやるから」

「ハイハイ、気をつけますよ」背中で手を振って、スイは退散していった。

 綾はまた舌打ちをひとつして、テーブルを離れると、温いソファに、深く背中を預けた。


(つづく)


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