飢えたる首領

 そのとき私は、制裁の一環として、すでに10人近くの男に輪姦された後の少年を、最後の1人として犯していた。

 ずいぶん若く見えるが、この少年も私と同じストリートギャングに所属する、幹部構成員であるらしい。しかし私は、彼が誰で、どんな失態を犯してこのような目に遭っているのかも、一切知らなかった。

 私が、同じ組織内で顔を知っている人間は、ボスしか居ない。

 いや、もっと正確に言おう。

 私がその顔を知った組織の構成員の中で、今も生きている者は、ボス以外に、一人もいないのだ。内部粛正に特化した暗殺者。それが私の役割である。私がボス以外の誰かの前へ『出る』ときは、その者が死ぬとき。組織に入ってからこれまでずっと、例外は一度もなかった。

 今日、この日までは。

 そう、思っていたのだが、実際に少年に触れてみるとすぐに、今回も例外ではないことが判明した。腕に抱いた少年はぐんにゃりと重く、彼の体をぬめらせているあらゆる体液も、その体自体も、嫌に冷たかったからだ。これはおそらく屍姦だろう。今は辛うじてそうではないかもしれないが、このまま黙って彼を犯していれば、空が白けるより早くそうなるのは、目に見えていた。

 私は、朝まで死体もどきと性交し続けなければならない、己の不幸を呪いながら、顔を覆っていたマスクとサングラスを外した。死体相手に、顔を隠す必要はあるまい。

 少年の細い脚を抱え、緩慢に腰を揺らめかせながら、配管だらけの汚い天井を、裸眼で仰ぐ。破れて釣り下がった蜘蛛の巣が、鉄格子の嵌まった小窓から射しこむ月の光を受けて、やたらと白く光って見えた。それを、美しい、と感じる。仕事の最中に、こうして、レンズやシールドを挟まない素の目でものを見るのは、初めてだった。

「あなた、つまらなそうですね」

 冷えた暴行をはじめて、どれくらい経った頃だったろうか。私の下から、ずいぶんと冷静な声が発せられた。半ば死体になりかけた人間が喋ったことに、しかもその内容が、命乞いでも恨み言でもなく、私の様子を観察して述べられた率直な感想であったことに、私は頭皮にまで、びっしりと鳥肌を立てた。

「生き……て……、」彼の中に沈めていた自分の肉体の一部を、無意識に引き抜きながら、私の口は、そんなことを喋った。みっともなくひび割れた声で。

「死人は喋りません」

 答えた彼の声もまた、しゃがれた、酷いものだったが、私の出した声に比べれば、くっきりと空間に響いた。

 彼が声を出すと、それが震動となって彼の内臓に伝わり、最後に居残った私の先端にも、快感を植え付ける。その心地よさはまるで、温かな真昼の塩湖に浮かんで、ひとりきりの日光浴ができたなら、こんな気持ちがするだろう、というような、気が遠くなるほど幸せなものだった。

 なんという、この圧倒的なオルガスムス。

 少年の中を泳げば、月のない真夜中のように空虚だった私の体に、擦れあう粘膜を通して、彼の海が注ぎ込まれ、私の体内の夜は、美しい桃色の光を纏った夜明けの色で塗り替えられる。そんな幻覚を伴った、未知の快感が、この死にかけの少年の肉体から、とめどなく押し寄せてくるのだ。前に試したことのある高価な薬でも、これほど穏やかで強力な快感は得られなかった。相性だとか、技巧だとかで生み出される性の快感とも、根本的に違っている。

 いったい、これは、何だ。

 私は今、何を体験している。

 少年は、私に体をぐったりと預け、動けない様子のままで、温かな幻想の水を私の中へ大量に送り込んでくるのを止めなかった。恍惚の眩暈の中で、私は、私を構成する水分が彼の体液に侵され尽くして、骨という骨、内臓という内臓が生まれ変わり、私がすっかり別物に作り替えられてしまう、そんな、奇妙な妄想にとらわれた。

 私はこれまで、心の底から何かを恐ろしいと思ったことなど、一度もなかったのだ。

 そのことを、震えの止まらない体で、今、知った。

「…………や、……め……」恐怖に上ずった声が、私の口から洩れる。

「私の、言う、こ、と、で……ッ、しょう、」

 冷静を装うこともできない喘ぎ混じりの彼の声は、辛そうでもあり、心地良さそうでもあった。どうしたのだろうと下を覗き込んだとき、私は、ほかでもない自分が、彼の体を揺さぶり、貪っていることに気が付いた。抵抗などとうにできなくなって、ただ開くことしかできない彼の両脚を抱え上げ、その谷間を己のもので奥まで突いて、引き、掻き回し、拡げていた。螺旋を描いて天に昇ってゆく、激しい恐怖と快感におののき、震えながら。

「……ゆ、……ゆる……し、……ああ、ああ、どうか、……許して、ああ……!」

 私は、何度も、許しを乞うた。

 彼は、何も言わなかった。

 ただ、閉じる寸前の目で、私を見ていた。

 伏せた瞼の清らかさは、到底、人間の持ち得るものではない。

 彼から流れ込んで来る温かな水は、今や私の細胞のすみずみにまで染み渡り、私は彼と一体となり、恐怖は遥か彼方に遠のいて、空いたその場所にも、快感が溢れた。生命の進化の歴史を、魂深くに直接刻み込まれるような、濃密な快楽だった。彼は、私自身も知らなかった、私という生命の根本にある渇きまでをも、満たしたのだ。その瞬間の私には、足りないものなど何もなく、完璧だった。これより上はなく、下もなく、ほんのわずかの隙間もない。

 母親の中から出てきたときのように、私は、息をした。

「あ、……あなたは…………」

「私は、マオ・アラヤシキ」

 ほとんど息づかいで、彼は名乗った。

「マオ・アラヤシキ……」私は慎重かつ迅速に、マオから体を引き、乱れた衣服もそのままにひれ伏した。高貴なる彼の血がまだ乾かぬ地面に、頭を擦り付ける。ぬるりとした感触を額に感じて、幸せな目眩が、私の体を抱いた。

「あなたは、……いったい、何者なのです。いったい、何を…………、あなたは、たった今、あり得ない幸福を、奇跡を、私に、お与えになった……!」私の声はまだ震えていた。全身に鳥肌が立ち、涙がとめどなく流れてゆく。

 ややあってから、私のひれ伏した頭の上に、

「そうですね……」

 と思案する声が零された。そして、ふ、と短く息を吐く音。おそらく、笑ったのだ。何かおかしなことを私が言ったのか、それとも、額ずく私に見えぬ所で、何かおかしなことが起こったのか。解らなかったが、彼の笑顔を見てみたかった。

「そう、私は……、あなたの恐れる者。そしてあなたを、所有する者」

 マオの声には、それまでにはなかった、深い響きが加わっていた。私は全身を耳にして、その声を聴いた。

「私はあなたの神となり、あなたを永遠に許し、愛し、慈しむでしょう。それをあなたが望むなら」

 顔を上げると、マオは横たわった姿勢のまま、うっすらと瞳を開けて、私を見ていた。口許に湛えられた微笑はまさしく神仏のもので、今の今まで彼を陵辱していた私のことすら、愛しているのだと、その表情が私に語りかけていた。私はその神々しさに打たれ、打ちのめされ、感謝の言葉ひとつ口にすることができなかった。人が本当に恐れ入ると、筋肉は収縮し、声は乾上がり、でくのぼうになるのだ。私は身をもってそれを知った。

「それから、覚えておきなさい。私は、血が嫌いです」

 マオの視線は、投げ出した自分の腕へと向けられていた。薄闇に光る象牙の肌が、床のあちこちに溜まった彼の血によって、斑に汚されていた。

「失礼致します」私は横抱きに、私の神を、血だまりから掬い上げた。「お許し下さるなら、私は今ここで、この瞬間より、久遠の忠誠をあなたに捧げます。そしてこの先決して、あなたの御体を、血で汚させることは致しません」

「そう言うなら、早く私をこの汚い部屋から連れ出して、シャワーのひとつでも浴びさせなさい」

「かしこまりました」

 私はすみやかに部屋を出た。「朝まで犯せ」というボスの命令に背く行為であったが、問題はなかった。そのときすでに、私のボスは、マオ・アラヤシキという少年になっていたのだから。


     ◆


 これが、後に構成員のほとんどを信者に変え、組織を破滅へ導くことになる、マオこと《ティトラカワン》が、最初の信奉者を得た瞬間の話である。

 私はそれから7年後の今日も、ティトラカワンを神として、彼の為に生きている。

 あの至福の体験が、私の人生を根こそぎ変えてしまった。

 一方で、私に芽生えた信仰心が、彼の人生をも根底からつくりなおしてしまったことは、疑うべくもない事実であろう。

 私は永遠に、爪の先までティトラカワンにのぼせ上がっているに違いない。そうしてティトラカワンは、私のことを、永遠に、爪の先ほどだけ憎んで生きてゆく。私はそのことが、申し訳なくも誇らしい。

 私は、私の神を、眠りから覚ました男だ。

 私は《飢えたる首領》、ネザファルピリ。

 今日もティトラカワンの代わりに、貪欲に血しぶきを浴びる。


(了)

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